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農山漁村の価値をあらためて考える

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年1月16日更新

早稲田大学教授 宮口 侗廸(第3025号・平成30年1月8日)

1. 田園回帰の議論に関して

この数年、都市から農山漁村への移住の動きが確かなものになりつつあり、農文協の田園回帰シリーズ8巻を始め、学会でのシンポジウムなどでも、多くの議論が交わされていることは喜ばしい。総務省過疎対策室の田園回帰に関する研究会のレポートでも、都市に住む20代30代の男性の4割超が、農山漁村地域に移住してみたいと回答していることが報告されている。

このような動きには、すでに4割を超えたという報告もあるわが国の非正規雇用の増加が示す、大都市での生活条件のきびしさが影響していることが考えられる。しかし一方で、ふるさと回帰支援センターの嵩かさみ和雄氏は、最近の若者の地方への移住希望は、かつての都市生活の否定的発想とは異なってきていると指摘し、「地方にこそ可能性がある」「自分の生きる道は地方にある」として田舎暮らしを希望する若者が増えてきたと指摘している(小田切・筒井編著「田園回帰の過去・現在・未来」農文協)。「地方を知らない若者」が地方に向けるまなざしの変化を新しい潮流ととらえているのである。

筆者も近年、地方出身ではなく、大都市で大量に育った地方を知らない世代の中から、すなおに地方特に農山漁村に魅力を見出す人たちが一定程度育ってきたのではないかと考えてきた。大都市にはそれなりの価値を感じていても、一方で自分が暮らす場として地域を考えたときに、様々な接点から、自分にとって大都市にはない魅力を持つ地域があるということに気づき、その際の心の高まりによっては移住という行動へ向かう人たちが、大都市育ちの中からあらわれたという見方である。その際、大都市での暮らしの不安定さが判断に影響することはあると思われるが、地方への移住の決断は、むしろ経済的な優劣を超えた、自分にとっての地方の価値すなわち魅力そのものによるのではなかろうか。

2. 農山漁村の本来的価値

農山村は単純化すると、自らの土地で糧を得てきた場である。かつて不耕作地主が存在した時代でも、わが国の小作権は相当強かったので、このような言い方が許されると思う。漁村の場合は地先の漁業権がこれにあたり、これは自らの海で漁業を行ってきたと言い換えてもいいであろう。そして、わが国の水田農業は驚異的な土地生産性を実現したため、特に中山間地域の農家は、比較的小規模経営のまま一子相続的に土地を継承し、落ち着いた風格ある風景を維持してきた(次頁写真参照)。漁村の場合も、沿岸での漁獲がかなりあったために、小さな漁船による漁業で、多くの漁民が生活してきた歴史がある。そこでは農山漁村を通じて、多彩な手仕事の生業のワザが蓄積してきた。

ただ、高度成長期以降の生活水準の上昇の中で、大型化に成功した一部の生産者を除いて、従来の形態の農林業では生活のすべてを支えることができなくなり、兼業化が急速に進んだ。ただこの時代に農山村の兼業化が急激に進んだ背景には、都市近郊での企業の立地に加えて、中山間地域での、道路の整備と植林に代表されるかなりの公共投資があったことを忘れてはならない。若者は都市に流出したが、地域の生活を持ちこたえることはできた。現在農山村に暮らす80代前後のお年寄りの多くは、40~50年前に兼業農家となったものの、おそらく家と土地を守る強い意識のもとで農林業のワザを継承し、兼業を含めて多様な仕事に勤しんできた人たちである。都市のサラリーマンとの大きな違いがそこにある。漁村においても、漁や手仕事による加工のワザは健在である。

筆者はこれらの、人が継承し身につけてきた自然を活用するワザの体系こそ、わが国の農山漁村の本来的な価値であると考え、これを敢えて農山漁村の人間論的価値と表現してきた(「新・地域を活かす」原書房)。そして、農山漁村は通常集落を生活の拠り所とし、そこには多くの慣習があったが、それも本来暮らしを支えるものであった。かつて戦後の民主化の時代に、その閉鎖的な側面が非民主的と批判されたり、現在でもそれを指摘する声はなくはないが、集落という、支え合う人の塊りが連綿と続いてきたこと自体が、その本来的な価値を物語っている。これを筆者は社会論的価値ととらえたい。ただ、額に汗して準備をしたお祭りがいかに楽しかったかがよく語られるが、現状では、高齢化の中でそれが重荷になっていたりする。その重荷の部分を時代に合わせて軽やかに修正していくことができれば、そこに新しい社会論的価値が上乗せされることになろう。

島根県邑南町が「日本一の子育て村」を名乗り、合計特殊出生率2・65を達成して有名になったが、そこで「村」と名乗ったことは、ムラこそ人が支え合う地域社会であるという強い認識をよく物語っていると考える。

3. 農山漁村が高齢者にとっていかに住みよい地域であるか

筆者らが2016年3月の日本地理学会で開催した「いまあらためて農山村の価値を考える」というシンポジウムにおいて、静岡大学の中條暁仁氏から、「農山村の高齢者はその蓄積から農産加工など6次産業の、さらには農業体験や民泊など、日常生活を資源とした取組の担い手として、これが経済活動にもなっており、これが『つながり』を生み、生きがいの醸成に寄与している」という内容の研究発表があった。

氏はさらに、「高齢者は農山村の価値を維持・創出する人々」と指摘し、農山村における価値ある高齢化社会の再構築を期待している。創出という表現が加えられている点からは、蓄積されたワザに新しい道具や仕組みを導入することで、さらなる価値の上乗せを期待していることが読み取れる。漁村においても、水産加工や食材の直販、ひいては近年増えている漁家民泊を考えても、これに類する見方ができる。大都市郊外の団地の高齢化を考えたときに、その優位性は明らかであろう。

そして、ここで指摘された高齢者のワザの蓄積は、筆者が人間論的価値と表現したように、都市の若者にとって、都市にはない価値として、大げさに言えば感動をもって受けとめられている。地域おこし協力隊のレポートにも、ムラの人たちがいかにいろんなことができる達人であるかが多く語られる。たとえば「21歳男子、過疎の山村に住むことにしました」(水柿大地、岩波ジュニア新書)には、村人のホスピタリティと生きるワザとの出会いの中で、自らの活動を展開していく過程がいきいきと語られている。

筆者も様々な農山漁村地域を訪れ、多くの農産物・水産物の直売施設や農家レストラン、農家民宿において笑顔で働く高齢者に出会うが、これこそ、地域の総生産額などでは表せない、地域の価値である。そしてこの暮らしの価値を守るために、国の過疎対策が大きく貢献してきたことは忘れてはならない。

ただ冒頭に述べたように、このような都市にはない価値には、地方育ちの若者よりも、大都市育ちの若者が敏感に反応する傾向があるように思う。筆者はUターンの全般的状況を把握しているわけではないが、地域おこし協力隊やIターンが大きな話題になっているのに対して、農山漁村への次世代や若者のUターンはそれほど目立っていないように思う。

筆者は次のように推測したい。一つは、地方から大都市に流入した若者は、大都市に適応して自らの生活を確立することに相当のエネルギーを費やし、この間地方の価値を考える余裕がないのではないかということ。もう一つは、農山村の風景や人のふるまいをある程度見て育ったために、大都市に育つ若者のようには、都市にはない価値に敏感に反応しないのではないかということである。さらに地方出身者は、県庁所在地クラスの中核都市の利便性が高いことを熟知しており、農山村の価値に目が向きにくいことも挙げられるであろう。このことを含めて、次に地域の価値の継承について述べたい。

4. 農山漁村の価値を継承し、創出するにはどのような発想が必要か

2017年度の全国過疎シンポジウムの基調講演は、山崎亮氏による「『縮充』する地域を目指して」というものであった。文字の意味が示すように、これは小さくなるが充実する地域を目指そうということであるが、漢字熟語にすることによって強いインパクトを与えているところに巧みな表現力を感じる。すでに著書も出ている(「縮充する日本」PHP新書)。

しかし、わが国の人口が長期間の減少過程に入り、大都市やそれに近い県庁所在地等を除くほとんどの地域で人口が増えないことは、数十年前からわかっていたことである。筆者は特に農山村に関して、20年前の著書から一貫して「人口減少を嘆くのではなく、少数にふさわしい社会・経済のしくみを創造して、魅力ある低密度居住を目指すべき」と主張してきたが(「地域を活かす」大明堂、「新・地域を活かす」原書房)、これはまさにいま縮充といわれていることにほかならない。

将来、いまの高齢者にあたる部分の人口が減少する中で、地域社会が少数精鋭型に進化していくことが望ましい方向であると考えることには、誰しも異論はないであろう。そしてそれは、新しい資源の活用を含む経済活動をつくり出す人材の育成と、暮らしを守るよりよい地域社会システムを創出することによって可能となる。総数が減少する中でも、そこに住もうとする強い意志を持つ住民と、違ったセンスを持つU・Iターン者、さらには行政関係者のいい形での絡み合いがそれを可能にするであろう。地域おこし協力隊はその予備軍としても位置付けられると思う。もちろん、外部の有識者など、有能な他人との交流も不可欠である。

先にUターンについて触れたが、筆者は近年、Iターンや協力隊が多く話題になる中で、自治体が、Uターンに対しても優遇的政策をとるべきではないかと、強く考えるようになった。特に小規模自治体であれば、住民からの情報の把握によって、流出した人材の動向や実態について把握することはそんなに困難ではないと思われる。地元にどんな人材を必要としているかに応じて、直接担当者がUターンを働きかけることもできるのではないかと考える。このことはすでに行われているかもしれないが、地元の親の存在を気にしている人も多いはずであり、効力を発揮するのではあるまいか。

地域社会の進化をつくり出すためには、若者を含むU・Iターン者と地域の住民が、総数の減少は必然としても、時間をかけた話し合いの中で、それぞれの役割を果たしつつ、暮しやすい豊かな少数社会をつくっていく姿勢と努力が何よりも肝心であると考える。しかし最近、小さな地方都市の首長選挙での当選者の第一声が、「いかに人口減少に歯止めをかけるか」であったと報道する新聞記事を見た。このような抽象的なお題目がまだ世間に通用していることを残念に思う。農山漁村はこのような呪縛から脱却し、どの人に何をしてもらうかという具体的な施策を創出し、積み上げていってもらいたいと考える。

5. 具体的な取組についてー地域まるごと複合経営に向けてー

集落を基礎的な単位として、小規模な農業を継承してきた農山村では、水田農業を守るために、多くの集落で集落営農が組織されてきた。中山間地域では、これに中山間地直接支払の助けを得て、なんとか農業を持続している例が多い。

しかしこれからは高齢化の進行の中で、集落営農の継続も難しくなる例が増えてくると思われる。その際の発展的な方向として、集落営農組織を多くの生産活動を取り込む法人に組織替えして、次世代の参入を促すことが考えられる。すでに例があるようであるが、農産物の多様化はもちろん、農産加工、直売、林産関係など、大げさに言えば多様な地域資源の多くを活用する複合的な企業体を目指すのである。そもそも小さな社会では分業ができないということは基本的原理であると、筆者は早くから唱えてきた。

次の世代を加えて進んだ複合経営ができれば、地域の人はその実情に応じて、フルタイム、パートなどで貢献することができる。このような組織ではいろんな人材が必要になり、農業のワザが身についていない協力隊の若者も役割を果たすことができる。これが多世代の住民の働きに応じた所得に結びつけば、まさに将来が見えてくる。もちろんここには高いマネジメント能力が欠かせないが、自治体の有能な職員やU・Iターン者の参加、ITの活用などによって実現の可能性は高いと考える。

社会論的には多くの自治体で小規模多機能自治の育成が進みつつあるが、そこでの経済活動としては、きちんとしたマネジメントのもとでの少量多品目生産が基本であると思う。そこでは冬場の仕事をつくり出す工夫も必要になってこよう。

土地の私有権への強いこだわりは、わが国の農山村における協業体制の構築のネックとなってきた。しかし、農山村の過疎高齢化の進行と集落営農などの展開の中で、地元の人によってつくられる複合的な生産組織に土地や資源を任せる機運は醸成されやすくなっているのではないかと考える。中山間地直接支払で複数の集落での受け皿ができた例があったように、うまくいけば複数の集落や旧小学校区などへの広がりの可能性もある。総務省の過疎問題懇談会で提案してきた集落ネットワーク圏の実質化にもつながる。

このような複合経営にツーリズムを加えれば、より価値を発揮することは間違いない。すでに廃校舎や古民家を活用した、地域のグループによる宿泊施設は数多く生まれているが、これを他の生産活動と組み合わせることにより、年間を通じたバランスのよい労力の季節配分が可能になる。さらに、空家の斡旋やお試し居住などの事業が加われば、移住を喚起する可能性も広がるように思う。

そして農山漁村の、時代にふさわしい価値づくりを実現するためには、しくみづくりと初期の予算準備のために、自治体のリードとりわけ有能な職員の協働が不可欠である。逢坂誠二氏がニセコ町長時代に述べた、「住民の幸不幸は職員の資質にかかる。職員研修は予算の聖域である」は、今も至言である。都市にない価値を持続しつつそこに新しい価値を上乗せする、ぜひこれを町村の合言葉としてもらいたい。

6. おわりに

本稿脱稿の数日前に、高知県が強力に進めている集落活動センターの先進的な事例を視察する機会があった。これは旧小学校区などを単位とする地域運営組織で、すでに40以上生まれていて、生活支援のみならず産業の育成をも視野に入れたものである。高知県は地域の課題解決のサポート役として県職員64名を市町村などに駐在させるなど、他に例を見ない徹底的な地域支援策を続けていて、この活動センターもその協働の大きな成果と言える。撤退したガソリンスタンドや商店の経営、廃校舎におけるツーリズム、地域おこし協力隊の起業や特産品の開発も生まれており、地域複合経営体の確かな芽吹きと受けとめることができた。このような複合的な新しい組織が、小さなビジネスの育成をも含めて、次世代の受け皿としても全国各地に育つことを願ってやまない。

宮口氏の写真です宮口 侗廸(みやぐち としみち)
早稲田大学名誉教授、文学博士
専門は社会地理学・地域活性化論
1946年富山県に生まれ、東京大学、同大学院博士課程で社会地理学を専攻。1975年から早稲田大学教育学部に勤務、1985年教授、2017年名誉教授。国土審議会専門委員、富山県景観審議会会長等を歴任し、総務省過疎問題懇談会座長、富山市都市計画審議会長などを務める。富山市在住。広い視野からわが国の地方社会のあり方について発言を続ける。近年ではソフト事業に過疎債の充当を認める法改正に尽力。
〔著書〕『新・地域を活かす-一地理学者の地域づくり論-』(2007、原書房)ほか。