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ポピュリズムは悪か?

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年8月27日

作新学院大学総合政策学部教授 橋立 達夫 (第2811号・平成24年8月27日)

ポピュリズムは今日、「大衆迎合主義」 と訳され、否定的な文脈で用いられること が多い。しかし、まちづくりの現場でワー クショップ型の会議を開き、住民の話し合 いにより地域の将来を考えるという取組み を進めている私には、ポピュリズムこそ民 主主義の原点であると思えてならない。

確かに、世論調査による内閣支持率に一 喜一憂し、大衆におもねる政策を繰り返す のであれば、政治家として失格である。し かし大衆の声が聞こえない政治家はもっと 始末が悪い。そもそも現在の大衆の声とは 何か。マスコミが実施する世論調査の対象 は、家庭用の固定電話に昼間出られる人に 限られている。高齢者やテレビのワイド ショーの影響を受ける専業主婦がその大半 になる。マスコミは自ら世論を誘導しなが らその効果を計っているのに過ぎないので はないか。

本当の世論は別のところにあるのではな いか。会社からリストラされ転職したが不 景気で営業成績が上がらないタクシー運転 手。ただでさえお客が減っているのに消費 税が上がったらもう営業継続は難しくなる だろうと言う飲食店主。集落の万屋が廃業 してしまい日々の買い物ができなくなって しまったと嘆くお年寄り。生まれたばかり の子供の将来を心配して反原発デモに加わ る母親。このような声はマスコミに取り上 げられることはほとんどないが、社会の中 に蓄積している。こうした声に耳を傾け、 政策の方針を考えることを大衆迎合主義と して片づけてしまってよいのか。こうした 人々の希望よりも財政健全化が優先課題な のか。

地域社会の弱い部分が、効率化の名の下 に切り捨てられていくような政治行政が続 けられていけば、社会の末端が壊死して行 く。そして末端の壊死の上に成り立つ財政 健全化はどのような意味を持つのか。社会 の末端の幸せから組み上げていく政治行政 をポピュリズムと呼ぶなら、私はそれこそ が、これからの日本に、そして経済的な危 機や戦乱にさらされている世界に求められ るものだと思う。