森林ジャーナリスト 田中 淳夫(第2723号・平成22年6月14日)
今年は、国連の定めた国際生物多様性年。10月には名古屋で生物多様性条約締結国会議(COP10)が開かれる。
そこで環境省および国連大学高等研究所が提言するのが、「SATOYAMAイニシアティブ」だ。人と自然が共生して生物多様性を保つ「里山」を世界に示そうというのである。そして日本はそれを維持する技術と智恵があることを表明し、地球規模で「生物多様性の保全」と「生物多様性の持続的な利用」の達成に役立てる・・・・・。
なかなか素敵な発案である。日本の農山村が歴史とともに築いてきた自然の利用および保全技術が、世界に誇るものであり、地球全体のモデルケースになるかもしれないというのだから、喜ばしい話だ。
だが、現実の里山に目を向けると、晴れがましい国際舞台に立てる状況にあるだろうか。多くの棚田は放棄されて荒れ放題、雑木林も人の手が入らずブッシュと化したところが広がっている。それどころか里山の集落自体が過疎高齢化の進行により、存亡の危機に陥っている。消滅1歩手前の空気を漂わせる「限界集落」という学術用語も、今では当たり前のように使われるようになった。
改めて、里山の将来像を見直す時期に来ているのではなかろうか。
里山の将来について論じる前に、まず里山の定義をしておきたい。
「里山」という言葉は江戸時代からあったようだが、それが普及したのは意外と新しく、四手井綱英京都大学名誉教授が戦後使い出してからとされている。人里から遠く離れた原生自然的な奥山の対義語として、人里に近く人の手が入った自然環境地域を指す言葉だ。具体的には、堆肥用に落葉など集めた農用林や、薪を採取した薪炭林を指した。
現在ではもっと概念が広げられて、山林だけでなく、田畑や茅場、溜め池や小川などの水辺、さらに道や建築物まで含めることが多い。里山だけでなく里地、里道、里川、さらに里海という言葉まで登場している。
大きく括ると、里山とは「人の営みが作った2次的自然」となるだろう。原生自然を人が農業や林業、あるいは土木・建築などを通して改変したことで、そこに新たな自然が生まれた場所である。
重要なのは、こうした二次的自然は生物多様性が高いことだ。原生自然より生物の種類と数が多いのである。森林に草原、水辺といったさまざまな環境がモザイク状に存在することで、それぞれの場所に適応した動植物が存在するうえ、生活史の中で幾つかの環境を渡り歩く種の生息も可能にする。たとえば産卵は水辺、ねぐらは林内で、餌場は草原……といった昆虫や鳥獣などだ。
耕作や伐採など人の手による環境の攪乱行為が、土壌や日照の条件を変化させ生息環境を増やすことも影響しているだろう。
ただし里山は、固定された環境ではない。しばらく放置すると、裸地に草が生え、草原に樹木が育ち森になる。水路や溜め池も土砂で埋まる。すると、自然も変わるだろう。里山の自然を維持するには、常に人の手が環境を攪乱し続ける必要がある。
つまり里山とは、人の営みとセットで存在するものなのだ。人が住み、自然に働きかける生活がなくなれば里山はなくなる。だから自然状態だけではなく、人の活動も含まれる。里山とは「人と自然が交わるシステム」だと定義づけた方がわかりやすいかもしれない。
ところが戦後進んだ生活の変化と農林業の衰退は、里山を危機に追い込んでいる。化石燃料の普及で薪などの採取が必要なくなったし、化学肥料は堆肥づくりの必要性を奪った。減反政策により休耕を強いられたかと思うと、農業の不振が耕作意欲を失わせる。さらに住民の減少と高齢化が進み、集落の活力が落ちてきた。行政の関与も減る。近年の市町村合併は、そんな地域を増やした。
その結果、明るい雑木林は暗い森になり、長年耕された農地も雑草に覆われる。見慣れた昆虫や鳥獣は姿を消すか別の種に入れ代わる。逆に激増する種も出た。また人が減れば、水路や道の管理は滞る。祭などの行事が消え、歴史を語り継ぐ人もいなくなる。生活の技術も忘れられ里山の文化を失うのだ。それらは自然の変貌と対になっている。
荒廃した里山
では、このような危機的状態の里山を再生する手だてはあるのだろうか。
重要なのは、自然だけを再生しようと思っても無理なことだ。仮に税金を投入して森林や農地に手を入れても、里山は甦らない。そこに生活がなければ、本当の意味での里山の景観ではないだろう。だから里山の再生は、集落の再生と同義でなければならない。
全国各地で里山と集落を維持するためにさまざまな取組が行われている。政策的に条例を制定しているところもあれば、民間がボランティアで頑張っているケースもある。
それらの事例を私なりに整理して、3つに分けて紹介しよう。
第1の手法は、農林業を経済的に成り立たせるとともに、住民の生活が送れるようにインフラを『整備』することだ。
たとえば棚田の耕作は、そのままでは労多くて収量は少ない。そこで労力を減らし生産性を上げるため、小さな棚田をまとめて大きくする、また機械を導入しやすい形状にする「圃場整備」が行われる。農道整備も必要だろう。同じことは林業にもある。小規模な林地をまとめて林道・作業道を密に入れる。そして高性能林業機械による施業で効率をアップする。さらに人々の暮らしを向上させることも考えれば、道路や住宅環境、情報インフラの整備も必要だ。
この方式は、すでに多くの行政が取ってきた。だが十分な成果が出たとは言い難い。農林業の構造的な問題や、地形や気候、消費地までの距離などのハンディキャップを克服できなかったからだろう。また教育や医療福祉など総合的な対策抜きでは住民の流出は止められなかった。
次に『支援』がある。自力で里山地域の振興は無理であることを前提に、外部の資金、外部の労力で住民の生活を支え、また自然への関与を続けるものだ。
たとえば農林業関係にはたくさんの補助金がある。作業ごとの支出のほか、直接支払い制度のような一括助成もある。また民間の棚田オーナー制度も、それに近い。町の人がお金を出し、棚田の耕作を続けてもらう形だ。田植えや稲刈りへの参加や収穫物の分配が、その対価となる。森林整備を手伝うボランティア活動もこれに含まれる。
最近では、生活を支える活動も現れた。限界集落の高齢者の買い物や病院への送り迎え、外部の人による祭など文化行事の維持、復活などだ。集落支援員の派遣・駐在や、福祉などを請け負う疑似行政組織化したNPOも登場している。
里山を維持するための取組
ただ金だけでは解決しない問題も多いし、肝心の財政も厳しい。またボランティアは責任の所在が曖昧なうえ、経営が不安定なところが多く継続性に心配がある。
そこで第3の手法として『転用』が登場する。『創造』と言ってもよいかもしれない。これは、現在の里山そのものを維持するのは無理だと認めて、別の環境に転用することだ。新しい里山づくりでもある。
たとえば棚田を水田として維持することは諦める。しかし、その土地を利用した高付加価値作物栽培や事業を考える。花卉類のほか、健康食品の材料、ハウスを建ててキノコ類や高級野菜の栽培を行うケースがある。観光果樹園という道もあった。
あるいは、狭い棚田を逆手にとり市民に分譲・賃貸することも考えられる。市民は、自分の好みに合わせて利用する。週末などに通って趣味で利用するのなら、広い面積はむしろ負担になる。小さな棚田の方が扱いやすいのだ。家庭菜園のほか花壇をガーデニングするケース、プライベートキャンプ場という可能性もあるだろう。
最近は棚田牧場に注目が集まっている。棚田に動物を放牧するのだ。ウシで本格的な畜産に取り組むケースのほか、ヤギやヒツジの場合もある。いずれも動物が草を食べることで農地を維持できる。また大型動物がいると、背後の山から農地を荒らすイノシシやサルなどが出て来にくくなる。
ただし、これまでの里山と環境は大きく変わるだろう。棚田に水が張られなくなれば景観も生態系も違ってくる。従来の生物多様性が維持できるかどうかは未知数だ。農地法などをクリアする工夫も必要だろう。
里山維持の主体は誰か、ということも考えねばならない。
基本は、地元民が主体となり、町の人は情報や資金面でサポートする形である。だが、必ずしも地元に適切な人材がいるとは限らない。高齢化の進んだ集落なら尚更だ。
次にUIターンによる移住者が主体となることも考えられる。外の世界を知った人が里山地域に移り住んで活動の主体になり、地元民は彼らをサポートする側に回るのである。
町の人が主体になることもあり得る。町と里山が組み合わせた事業を行うケースだ。たとえば里山の農林産物を買い取り、町で販売する事業。また体験観光や環境教育の一環で町の人を里山に送り込み、ホスト役の地元民に謝礼を払うほか、物販を促進する事業……などだ。
これらの場合の行政は、いずれのケースでも主体にならず、あくまでアシストする立場であらねばならない。
こうした取組と主体は、どれが正解というわけではない。それぞれが、地域の事情を鑑みて選択する、あるいは組み合わせて行うべきものだろう。地理的条件や住民の意向を汲み取って細かく分け、『整備』と『支援』と『転用』をどのように行うか考えてほしい。また地元民と移住者、町の居住者らが得意分野を出し合い協力できる体制を組むことが大切だ。行政は、それをバックアップすることに意義がある。
棚田での菜の花祭(奈良県生駒市西畑)
最後に直言したい。
こうした里山を維持する努力は、必ずしも報われるものではないということだ。
日本社会そのものが人口減少局面に突入した現在、すべての集落を維持し、里山環境を保全することは、残念ながら不可能である。そのことを率直に認めることも必要だ。
そこで『撤退』という選択肢も登場する。放置ではない。無理な活性化策を取るのではなく、穏やかに集落を終焉へと軟着陸させる路線だ。
抵抗はあるかもしれない。しかし、現状を無視しても、結局何も生み出さない。かえって地域を疲弊させかねない。すでに多くの地域で、村おこし事業に疲れて逆に活力を失った例がある。意見の対立から住民の分裂を招いたケースさえある。
そうなる前に、『撤退』のベクトルを見据えることも必要ではなかろうか。
たとえば人家から遠いとか傾斜のきつい農地は、森林化を許容する。人工林を天然林へ誘導する。水路も洪水や土砂流出を引き起こさないよう整備し直す。
その際に重要なのは、農地や林地の境界線や所有者の確認を行うことだ。さもないと、手のつけられない土地として後々トラブルの元になる。産業廃棄物の投棄など好ましくない事態も考えられる。場合によっては管理の委託を促す必要もあるだろう。
一方で、住民へのサービスは必須だ。そこに暮らす人がいる限り、見捨ててはいけない。そのうえで集落の移転や幕引きを選択肢に上げねばならない。住民の望む形を汲み取った終焉をデザインするべきである。
この選択肢から顔を背けるべきではない。正面から見据えることで、先の3つの維持のための選択肢も生きてくる。そして里山の存在する意味も見えてくるだろう。
美しい里山を残すために・・・
田中 淳夫(たなか あつお)
1959年大阪府出身。森林ジャーナリストとして森林、林業、山村等をテーマに執筆活動を行う。主な著作に『里山再生』『だれが日本の「森」を殺すのか』『森林からのニッポン再生』『割り箸はもったいない?』『森を歩く 森林セラピーへのいざない』『ゴルフ場は自然がいっぱい』などがある。