東京大学名誉教授 大森 彌(第3000号・平成29年5月22日)
2014(平成26)年11月、「まち・ひと・しごと創生法」が成立し、国も自治体も創生事業に乗り出した。国は、創生法に基づいて、人口減少に歯止めをかけ、東京圏への過度の人口集中を是正することにより、2060年に人口1億人を維持したいとしている。だが、これには決め手も奇策もなく、いわば、安心できる海図なしに航海に出たといえるかもしれない。全国の自治体は、それぞれに、その命運をかけて人口ビジョンと戦略計画を策定し、行く先に不透明感が漂う中で、まち・ひと・しごとの創生事業を開始している。
創生法の立案・成立に大きな弾みを与えたのは、いわゆる「増田レポート」の地方消滅論であった。2010年を起点にして30年後の2040年までの間に、「20歳から39歳まで」の若年女性の数が50%以上減少し、しかも2040年に人口が1万人以下になる自治体を「消滅可能性が高まる」と捉えた。消滅とは自治体でなくなることであるから、人口減少の衝撃が自治体の存否に及ぶという警鐘であった。しかし、法人格をもつ自治体が人口減少自体によって消滅することはなく、消滅のためには法的な手続きが必要である。
町村は、明治、昭和、平成と、三度、合併の大波に見舞われてきた。合併とは、つまるところ法人としての町村を消滅させることであった。「平成の合併」では、1999(平成11)年4月、2,558あった町村の数は2010(平成22)年3月には941となり、実に1,617もの減少である。
国と都道府県は合併推進の圧力をかけたが、当事者である市町村が動かなければ市町村合併はなかった。その意味では、「平成の合併」は市町村の判断の結果であった。合併の是非は、なによりも市町村長とその議会の意思であった。単独で行こうと決心した町村は少なからず存在したが、多くの町村は、お互いに身を寄せ合って(新設合併)、あるいは大きいところへ身を寄せて(編入合併)、「外圧」に対処したといえよう。「身」とは土地と住民であり、合併によって自治体が消えても、それまでの土地と住民は新たな自治体の区域の中に包み込まれて存在し続ける。法人もまた「人」であるが、合併によって自治体が無くなっても、近しい人が亡くなっ たときのような悲しみを感じているようには見えなかったのは、自治体が法人という人為的な存在だからかもしれない。
「平成の合併」が幕引きになった後も、合併あるいは非合併にかかわりなく、町村は少子高齢化の波に洗われ続けている。その中で急激な人口減少が続けば自治体が消滅の危機に瀕するという警鐘が鳴らされたといえる。しかし、少 なくとも今までのところ、国は、町村を消滅させるのではなく存続させる方向をとろうとしている。それが「創生法」を梃子にした人口政策とそれと連動した地域活性化政策であるといえる。町村は、いかに厳しい環境条件の下でも、自ら法人であることを放棄しない限り、存続し続ける。
いま、全国の町村長に求められているのは、自治体存続への堅固な意思であり、それを「わが町(村)を守り通す」と言い放つことではないか。「綸言(りんげん)汗の如し」という。長たる者、一度口にした言葉は取り消すことはできないことのたとえである。この意思を具体的な施策で示すのが各町村で取り組んでいる創生事業である。
首長は執行機関と言われるように自治体の機関である。首長の言動は、しばしば毀誉褒貶(きよほうへん)の対象になるが、その効果は首長個人にではなく法人としての自治体に帰属する。首長の振る舞いが自治体の価値を高め、あるいは棄損することがあるのは首長が自治体の機関であるからである。しかし、いかに自治体の機関であっても、首長は生身の人間であるから、その個性が滲み出てくる。
マックス・ヴェーバーの『職業としての政治』は政治に身を投ずる人間にとって必読の古典であるが、その中で、ヴェーバーは、「政治家は、自分の内部に巣くうごくありふれた、あまりにも人間的な敵を不断に克服していかなければならない。この場合の敵とはごく卑俗な虚栄心のことで、これこそ一切の没主観的な献身と距離―この場合、自分自身に対する距離―にとって不倶戴天(ふぐたいてん)の敵である。」(脇圭平訳、岩波文庫)と言い放っている。虚栄心とは、自分というものをできるだけ人目に立つように押し出したいという欲望のことであるが、これが災いし、冷徹な状況認識がくもり、本来の使命を見失いがちになるのである。
自治体の首長は4年任期の直接公選で決まるから、選挙にまつわる個別事情に敏感になることは避けがたいかもしれない。それでも首長に求められているのは、自己の命運を超えて、より良き自治体と地域を創造していこうとする確 固たる意思であり、地域の全体と将来を見据え、現実的な判断を下し、その判断の結果に全責任を負う覚悟である。
かつて民俗学者の柳田國男は、遠野地方の民間伝承を『遠野物語』に著し、その序文で「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。」と書いた。平地人とは、大自然のただ中で営まれてきた人びとの暮らしとそこで育まれた心性 を忘失した都会の人びとのことである。もちろん、これを引き合いに出して、平地人を都会人と等置し、都会人を批判しようというのではない。都市型の生活様式が全国的に普及している今日、都会人と田舎人の優劣を論じてもさしたる益はない。
それでも「田園回帰」(「向村離都」)の動きは時代転換の明らかな兆しであるといってよい。少なからぬ都会人が、自然との共生、伝統文化の継承、人と人との絆を保持している農山村の価値に改めて気づき、そこに居を移し定住しようとしている。この新たな人の流れを見ても農山村を守り通す意義は明白であり、町村の重要性が高まっているといえる。
全国町村会が『都市・農村共生社会の創造~田園回帰の時代を迎えて~』(2014年9月、提言)の中で指摘したように、農山村は、食料の供給や水源のかん養、国土の保全などに加えて、少子化に抗する砦、再生エネルギーの蓄積、災害時のバックアップ、新たなライフスタイル、ビジネスモデルの提案の場といった新たな可能性を示しており、そこでは、地域資源を活用した農業が持続的に行われること、循環型社会であること、集落に機能が維持され開かれていること、若者や女性が活躍できる場であること、交流が継続していることが必要であるとされている。
町村は、概して、農山漁村地域に所在し、相対的に人口規模が小さく、財政力指数は高くはないし、しかも、いち早く人口の社会減と高齢化の進展に直面し、それへの対応に苦慮し続けている。このような不利な条件のゆえに、「こんなところ」と自分たちの地域を卑下し、あるいは「どうしようもない」と愚痴をこぼし、「変わるはずがない」と、困難に立ち向かっていく意欲を失ってしまえば、衰退の一途は必定である。だからこそ、いま町村とそこで暮らす住民 に求められているのは、困難な状況にめげず、しなやかに適応して生き延びていく力(復元力)の発揮である。
若者の流出に歯止めをかけ、地域資源の利活用によって「しごと」(生業)をつくり出すために必要なのも、この「復元力」である。町村の区域は、自然と物と人の固有の結びつきである暮らしの場所である「地区」によって構成されている。地域創生の核心は、各地区を単位にした「復元力」の発現である。それには地区住民と役場の「協働」(水平的協力関係)が必要であることは言うまでもない。
町村は小規模であるがゆえに非効率であるといわれることがある。しかし、小規模であるがゆえに、地域のことを知り尽くした人びとが、地域の資源を活用して、創意工夫を凝らし地域を活性化させることができるし、地域全体を 見渡し、住民のニーズをきめ細かく捉え、関連施策を横に結びつけやすいともいえる。小さいことの素晴らしさは人間的スケールの素晴らしさであり、地域に暮らす住民一人ひとりが見えていることであり、それこそが町村における地域づくりの核心である。
町村が人口減少時代を生き抜いていくためには、人びとの力を結集できる「並外れた人」が必要である。人並み以上に、気力・体力・知力にすぐれ、地域を良くしたいというひたむきな気持ちから地域の可能性を引き出そうと率先して行動している人である。その筆頭に町村長がいれば、地域の「復元力」はより一層増す。内の絆を大事にしつつ、内を外に向かって開き、変化に挑戦している人は地域にとって貴重な財産(人財)である。
2015年9月、国連は全加盟国の合意により「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択し、地球の未来図を示す持続可能な開発目標を示したが、その達成過程では脆弱な立場に置かれやすい人びとを「誰一人取り残さな い」(No one will be left behind.)としている。地域の中には難問を抱え支援を必要としている住民がいる。町村長には、「誰も見捨てない」という住民擁護の基本理念に立って創生事業を展開していくことが望まれる。創生事業は人口政策であるが、住民は人口ではない。住民は、生老病死と喜怒哀楽のうちに人生を送っている、かけがえのない個々人である。その住民は、自分たちと心通わせることのできる町村長にこそ人口減少時代を生き抜いていく舵取りを託すことができるといえよう。
大森 彌(おおもり わたる)
東京大学名誉教授。1940年、旧東京市生れ。東京大学教授、千葉大学教授、地方分権推進委員会専門委員、厚労省社会保障制度審議会会長等を歴任。専門は行政学・地方自治論。現在、全国町村会「道州制と町村に関する研究会」座長、地域活性化センター「全国地域リーダー養成塾」塾長など。近著に、『人口減少時代を生き抜く自治体』(2017年・第一法規)、『町村自治を護って』(2016年・ぎょうせい)、『自治体の長とそれを支える人びと』(2016年・第一法規)、『自治体職員再論』(2015年・ぎょうせい)など。