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海辺の希望

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年1月26日

民俗研究家 結城 登美雄(第3027号・平成30年1月22日)

「板子一枚下は地獄」。そんな厳しい労働環境を反映してか、海辺の集落にはたくさんの祈りの場がある。例えば遠洋マグロ漁の優れた漁船員を輩出した宮城県唐桑半島。ここには80を超える神社がある。ただ社の建物が多いのではない。日々それらに深々と頭をたれ「航海の安全と大漁を」と手を合わせて祈る漁師の姿がある。漁師だけではない。長期操業に旅立つ船を見送った後の留守家族は、1年に及ぶ操業期間中、毎月1日と15日に乗組員家族連れだって神社を巡り願掛けをして歩く。これを地元では「お参詣」と呼び、今も変わらずに続けている。

豊かさと厳しさを併せもつ海という自然に向かい合って生きてきた海辺の人々。その祈りの心を基本にした浜の精神文化は神社領域だけにとどまらない。人々は誰に言われるまでもなく、今も家ごとに年中行事などの伝統文化を律儀に守り続けている。お正月様迎え、竈神様、まゆ玉、七草、節分、節句・・・。すでに都市はもとより農山村からも失われつつある年中行事を、浜の人々は「大切なものは人間の都合だけでやめてはならぬ」と大切に守っている。例えば宮城県旧北上町十三浜地区の大晦日の御船霊様への献膳。船に大漁旗を掲げ、へさきに松と注連縄を飾り、料理を盛り合わせたお膳をもって浜の家族が次々と漁港にやってくる。お神酒をあげ、御船霊様にごちそうを供え一心に祈るその姿の神々しさ。私はこの15年間、毎年暮れの十三浜の各浜で献膳の様子を観察させていただいた。そしてその姿から、海に生きるとは何かを教えてもらったような気がする。3.11東日本大震災の厳しい試練にも決してあきらめず、倦まず弛まずコツコツと復興への努力を積み重ね、漁業生産にいそしむ人々。そこに私は人間としての尊い姿を見るように思う。そして出来うれば、そのあきらめない姿が、厳しい時代を生きなければならない次世代の若者たちの希望につながっていってほしいと切に思う。