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「不易流行」と観光

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年1月19日

公益財団法人日本交通公社理事 筑波大学大学院客員教授  梅川 智也
(第3026号・平成30年1月15日)

「不易流行」とは、松尾芭蕉が『奥の細道』の旅を通じて体得した普遍の理念である。「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」。すなわち「時代をこえて変わらない価値あるもの」(不易)と「時代の変化とともに変わっていく必要があるもの」(流行)があり、そのどちらもが大切であるという教えと理解できる。芭蕉がこの旅に出たのは、元禄2(1689)年、46歳の時であるが、旅から帰って51歳で亡くなるまでの5年間、筆を入れ続け、単なる「旅行記」から世界観、人生観を反映させた「文学」へと昇華させたと言われている。

芭蕉研究の第一人者・長谷川櫂氏の解釈によると、『奥の細道』は交響曲のように4つの楽章から構成されている。第一楽章は「江戸から白河の関」までで旅の禊ぎとしていくつもの神社を訪ね、第二楽章は「白河から尿前の関」で「みちのく前半」(福島、宮城、岩手)の歌枕で詠まれた名所を訪れ、第三楽章は「尿前から市振の関」で「みちのく後半」(山形、秋田、新潟)は月や太陽、星といった世界観、宇宙観を描き、第四楽章の「市振から大垣」では、人の世の様々な別れを通して現実世界、人間界に戻っていくという壮大な展開となっている。「不易流行」と「かるみ」の境地は、この第三楽章と第四楽章でつかんだと言われており、こうした世界観、人生観を育んだ約150日間、600里の旅が『奥の細道』である。

昨今、生産性革命、人づくり革命など「イノベーション」が改めて注目され、その成果、効果が期待されているが、“革命”とはいえ当然ながら変えてはならないものが必ずあるはずである。「変えないこと」、「維持すること」、「保存すること」は、革新、改革と同等かそれ以上の努力を必要とすることも少なくなく、町や村の観光にとっても「不易」は疑いのない理念であるということができる。例えば、地域独自の景観や伝統ある文化芸能、食、歴史ある建造物、あるいはもてなしの心などは明らかに「不易」であろう。一方、旅館や飲食店、土産品などの商品やサービスは、日々の改革、技術革新の積み重ねが不可欠で「流行」を追求する面が強い。

「観光イノベーション」の基本は、古いもの(変えてはならないもの)を大切にし、そこに価値があるとする考え方とともに、旅行者は何を求めているのか、つまり「人間行動の本質」を追求し常にニーズに対応していく考え方、つまり「不易」と「流行」のバランスに心を砕くことに他ならない。

参考文献:『「奥の細道」をよむ』長谷川 櫂/ちくま新書など