日本社会事業大学学長 東京大学名誉教授 神野 直彦(第3022号・平成29年11月27日)
未来を信じられた時代が終わろうとしている。世界を見渡せば、憎悪と暴力が溢れ出し、人間の歴史が方向性を喪失してしまっているからである。
ギリシャ神話のアンティゴネの舞台である古代都市テーベが、未知の病に脅えた時、その原因を誰もが理解していた。それはコミュニティの崩壊である。人間の歴史が方向性を喪失している現在の時代閉塞状況の原因は、誰もがわかっている。それはコミュニティの崩壊である。
コミュニティが崩壊し、人間の絆が断ち切られたという不安感は、純粋な共同体への強い憧憬を呼び覚ます。というよりも、暴力的手段を行使してでも、伝統的共同体を守ろうとする社会反動を生じさせる。
このままではイスラムの伝統的共同体が崩されてしまうという不安感は、ISISに象徴されるような宗教的原理主義を登場させる。ブレグジットつまりイギリスのEU離脱も、このままEUに残留すれば、イギリスの伝統的共同体が崩壊してしまう恐怖感によって起きている。トランプ大統領を支える熱狂も、このままでは白人を中心とする伝統的共同体が崩壊するという恐怖によって支えられている。こうして国家的原理主義が抬頭する。
宗教的原理主義と国家的原理主義は、相互に反発し合いながら、憎悪と暴力を増幅していく。そのため未来への確信が喪失し、不安に抱かれた悲観主義が世界を暗雲のように覆ってしまっている。
しかし、人間はたとえ明日、この世界が終わろうとも、明日のために生きなければならない。しかも、ホモサピエンスつまり「知恵のあるヒト」である人間は、未来の社会を構想する想像力を使い果してしまったわけではない。というよりも、現在の時代閉塞状況を人間が創り出した以上、そこから脱出する道筋も人間が創り出せるはずである。
このように現在の状況を理解すれば、日本の町村の担っている歴史的使命は大きいといわなければならない。日本の町村にはコミュニティが息づいているからである。このコミュニティを培養し、人間の社会の未来のモデルを世界に示さなければならない。つまり、日本の町村は、楽観主義を携えて、現在の時代閉塞状況を抜け出す道案内を務めなければならないのである。
とはいえ、日本の町村が新しい状況のもとで、コミュニティを培養していく道程は容易ではない。というのも、ポランニーが指摘するように、市場が「悪魔の碾き臼」として機能し、家族やコミュニティという共同体的人間関係を磨り潰してしまうからである。
そのため町村は、家族やコミュニティへの支援サービスを適切に提供して、コミュニティを培養していく必要がある。もちろん、家族やコミュニティへの支援サービスは、地域社会ごとに相違する。コミュニティを形成して営まれている町村での生活様式は、それぞれの個性ある自然環境に合わせて形成され、その生活様式を支えるように、固有の産業循環が町村ごとに築かれているからである。
こうみてくれば、それぞれの地域社会のコミュニティ機能を支援し、地域社会の生活様式とそれを支える産業循環を発展させていこうとすれば、地方自治体が自由に使用できる一般財源が確保されなければならないことがわかるはずである。もちろん、地方自治体の収入は地方税によって賄うことが原則である。
国税が国民に負担させる租税なのに対して、地方税は地域住民が互いに負担し合う租税である。国税は封建領主が領民に課していた封建地代が租税に転化したのに対して、地方税はヨーロッパでいえば教会などをシンボルに、教育・福祉・医療などのために、地域住民が互いに負担し合っていた教会税などが転化したものである。
しかし、封建領主によって支配されていた封建国家が統合されて国民国家になると、通貨が統合されて、市場社会が成立する。通貨が統合されると、相違する地域経済ごとの生産性の相違から、地域社会間に経済力の格差が生じることになる。
そのため地域社会から地方税を調達する課税力と、地域社会で営まれる住民生活を支援する財政需要にも格差が生ずる。つまり、課税力と財政需要とから構成される財政力に、格差が生じることになる。
もちろん、地域社会間の財政力格差を調整しなければ、国民としての権利充足に相違が生ずるため、国民国家は分断されてしまう。そこで財政力格差の是正と、国民としての権利の同権化を実現する財源保障を、同時に実現する財政調整制度が誕生することになる。
財政調整制度は1920年代のドイツのワイマール共和国のもとで導入される。その時の合言葉は、「ドイツは一つだ」である。
現在の日本では政権が「地方創生」を掲げるほどに、地域間の経済力格差が拡大している。したがって、地方交付税という財政調整制度の機能を強化する必要がある。しかも、町村が一般財源によって、コミュニティを活性化させていくという歴史的使命を果すためにも、地方交付税の機能を強化させなければならない。
ところが、現在でも逆風が吹いている。来年度に向けた予算編成の過程では、地方交付税が財政力格差の是正と財源保障機能を適切に発揮し、一般財源の総額を今年度の水準を下回らないように確保することすら、危ぶまれる状況に陥っているからである。
もちろん、一般財源の太宗は地方税と地方交付税である。地方財政の財源所要額を算定する目的で策定される地方財政計画の歳出は、国庫支出金や地方債などの特定財源と、一般財源とからなる歳入で支えられる。地方交付税の総額は、こうした地方財政計画上の所要の一般財源を充足するように決定されることになっている。
一方で地方交付税は、国税5税の一定割合が充当されることになっている。ところが、現在では国税5税の一定割合つまり地方交付税の法定率では、所要の一般財源を充足できない状態が続いている。つまり、財源不足状態が続き、折半ルールにもとづく交付税特別会計の借入れでしのいでいる。そのため地方自治体も、臨時財政対策債の起債を余儀なくされている。もちろん、こうした状態は地方交付税の法定率の引き上げで対応すべき事態である。
しかも、消費税の増税が先送りされたこともあり、このところ交付税特別会計の「入口」ベース、つまり一般会計からの繰り入れ額を、交付税特別会計の「出口」ベース、つまり地方自治体へ実際に交付される額が下回るという事態が生じる事態となっている。そのためストックに手をつける事態に陥っている。今年度でいえば、地方公共団体金融機構の金利変動準備金が活用されている。
来年度の予算編成に向けて、このストックを活用するという流れは急速に強まっている。というよりも、地方自治体のストックに対する攻撃にも似た注目が高まっている。
財政制度審議会の『「経済・財政再生計画」の着実な実施に向けた建議』(平成29年5月25日)では、地方財政の決算では「「ストック」である基金が存在し」、毎年増加し続け、「平成27年度決算でその残高は21・0兆円の規模」となっていると指摘しつつ、「各団体の基金の内容・残高の増加要因等を分析・検証し、こうした地方団体の決算状況を地方財政計画へ適切に反映させることにより、国・地方を通じた財政資金の効率的配分につなげていく必要がある」と主張している。
しかし、「歳入の自治」と「歳出の自治」が中央政府によって制約されている地方財政では、決算上の赤字が生じていることを忘れてはならない。ところが、フリーハンドで財政運営が可能な国家財政では、決算上の赤字は論理的に生じない。
これに対して地方財政では、決算上の赤字が発生する。そのため地方財政では「繰り上げ充用」制度が認められている。「繰り上げ充用」制度は、決算上の赤字が発生した場合、その赤字を翌年度の歳入で処理することをいう。
国家財政では「繰り上げ充用」は認められない。それは「会計年度独立の原則」に違反するからである。会計年度独立の原則とは、その会計年度の歳出は、その会計年度の歳入で賄わなければならないという予算原則である。もっとも、国家財政では原則として、決算上の赤字を生じないことは、既に述べたとおりである。
地方財政では決算上の赤字が生じるが故に、基金として財政調整基金が存在する。財政制度等審議会の建議は、財政調整基金の「最近の積立増加傾向は著しい」と批判する。しかし、地方財政では決算上の赤字が生じるという国家財政との根源的性格の相違を考慮しなければならない。とりわけ最近の不安定で予測不可能な景気動向をみれば、地方自治体が慎重の原則にもとづいて対応せざるをえないことも忘れてはならない。
財政制度等審議会は「地方財政計画上の歳出の効率性・適正性を検証すべきである」と唱える。しかし、既に指摘したように、町村の歴史的使命は拡大し、地方財政の財政需要が高まっていることを肝に銘ずるべきである。地方財政が住民の生活を支援する使命は、急速に高まっている。そうした地方財政による住民生活を支援する使命を、中央政府は支えることこその責務であるはずである。そうした責務を怠れば、国家統合は危機に瀕してしまうのである。
交付税という財政調整制度を有効に機能させながら、コミュニティを活性化させていく町村の使命は大きい。確かに財政調整制度は、1920年代のドイツのワイマール共和国のもとで誕生した。しかし、日本の財政調整制度の誕生に、全国町村会の果した役割は大きい。
第一次大戦後の1918(大正7)年に、市町村財政の窮乏を救済すべく、「市町村義務教育費国庫負担法」が制定された。この義務教育費国庫負担は、財政調整機能を備えていた。そのため義務教育費国庫負担は、財政調整制度の前身とされる。
しかし、この義務教育費国庫負担は、市町村教育費のわずか1割を賄うにすぎなかったため、三重県度会郡七保村(現在の大紀町)の大瀬東作村長が、「小学校教員俸給国庫支弁請願運動」を展開する。こうした運動を推進する全国組織を結成すべく、1919(大正8)年に、三重県度会郡七保村役場に、全国町村長会創立事務所が設けられ、1921(大正10)年に、全国町村長会が創立されたのである。
このような全国町村会の歴史に思いを馳せる時、財政調整制度としての地方交付税が、機能不全に陥ることを阻止する任務を、全国町村会は担っているといわざるをえない。しかし、それは人間の歴史に方向性を与える導き星ともなるのである。
神野 直彦(じんの なおひこ)
1946年埼玉県生まれ。東京大学経済学部卒業後、日産自動車を経て同大学大学院経済学研究科博士課程修了。大阪市立大学助教授、東京大学助教授、同大学・大学院教授、関西学院大学・大学院教授等を経て、現在、日本社会事業大学学長・東京大学名誉教授。専攻は財政学・地方財政論。
社会保障審議会年金部会部会長、税制調査会会長代理、地方分権改革有識者会議座長等を兼任。主な著書に『「分かち合い」の経済学』(岩波書店)、『「希望の島」への改革-分権型社会をつくる-』(NHK出版)、『地域再生の経済学』(中央公論新社・2003年度石橋湛山賞受賞)、『財政学』(有斐閣・2003年租税資料館賞受賞)、『人間回復の経済学』、『教育再生の条件』(岩波書店)、『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書)、『「人間国家」への改革』(NHK出版)等がある。