民俗研究家 結城 登美雄(第2921号・平成27年6月1日)
3・11大震災から5年目をむかえた被災地沿岸。どこを訪ねても目につくのは土盛嵩上げ、高台移転地造成、巨大防潮堤工事などの重機とダンプの行き交う姿だけ。それだけ見ていると、つい復興は順調だと錯覚しそうになるが、しかし被災地の現実は厳しく約7割が未だ仮設暮らしのまま。家族を失い、家と仕事を失い、隣人友人とバラバラになり生活の展望がみえない。人々の孤立感と苦悩は一段と深まり、不眠、うつ、アルコール依存など心の均衡も失われがちである。
そんな深刻さが広がる中で「このままではコミュニティはおろか集落自体が消えてしまう。地元みんなで一緒にやれることをやろう」と立ち上がった浜がある。集落50世帯のうち48戸が破壊流出した漁村、宮城県石巻市北上町大室地区。まずは生き残った人々のつながりの回復と亡き人々の供養になるものを。そのためには15年間中断していた伝統の郷土芸能「大室南部神楽」を復活させようではないか。祭りや神楽奉納は地域共同性のシンボル。しかし大津波で神楽面も太鼓も衣装もすべて流されてしまった。復活の道は容易ではないが、心ある人々は必ずいる。あきらめずに手分けして面彫師をさがし、浜の母さんたちが衣装を縫い、少しずつ形が整っていった。そして何よりも次の世代にこの神楽の心を伝えたいと老人たちが毎週2時間、子供たちに稽古をつけ、積み上げて本番をむかえた。果して当日、小さな浜に地区内外から千人を超える人々が集まり、みな懐かしそうに、嬉しそうに、涙を流しながら舞台に見入っていた。
舞台が終り、みなの思いを代弁するようにひとりの老人が言った。「生き残った私たちが懸命に生きていることが、帰らない家族の供養になるものと思う。今日は天から、あの神楽を喜んでみていてくれたと思う」と。
まだまだ遠い復興の道だが、国や行政の公的復興力と、地域住民の復興力の合流が大切だと感じさせられた三陸浜の経験だった。