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なぜ、ここで生きるのか?

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年1月26日

民俗研究家  結城 登美雄(第2906号・平成27年1月26日)

巷間流布される「地方消滅」の議論をききながら、私はこの20数年間たずね歩いてきた東北の小さな集落の人々の顔を思い浮かべている。あの人たちはこの議論をどう受け止めているのだろうか。 様々な想像が膨らむ。「過疎地の次は限界集落。こんどは地方消滅か。相変わらずだね、現場知らずの都会人は――」。そんな声も聞こえてくるような気がする。

えらそうなことは言えない。かつて私も山間の小さな村にひとり暮らす老女に失礼な質問をしたことがある。「なぜ、こんな不便な山村に老いてとどまり暮らすのか」と。 返ってきた言葉は今も忘れ難い。「老いた身を案じて『離れ』まで増築して同居をすすめてくれた親孝行な息子の配慮を、私は断ってしまった。本当に申し訳ない。でも、確かに街は便利で快適だが、 この年になって知らない土地で新しい友人はできるのか。ともにこの土地を苦労しながら生きてきた隣人、仲間なくして、どんな老後が送れるのだろうか」。

思えばこの国の地方や過疎地への対応は大所高所からのものが多く、実際にその地域を生きてきた人々の声に耳を傾けたものは少なかったのではないか。どんな小さな村であれ、 そこは人間が生き暮らす具体の現場であり、人生がある。それらの人々の喜怒哀楽や悩みや願いに向い合わず、人口の多寡や高齢化率、出生率といった数字だけで判断し、 効率論で押し切る対応や施策が多かったのではないか。現今の「地方消滅」をめぐる議論には小さな村を生きようとする人々の心、すなわち人間に向い合うものが希薄で、 数字だけがひとり歩きしている気がしてならない。

自治体関係者よ!数字も大切だが、身近に生き暮らす住民のもとに日々出掛けていって、人々が抱えている課題や期待についてじっくりと話し合い、 同じ土地を共に生きていく仲間のひとりとして寄り添い、解決と実現の道をさぐってほしい。よい地域とはその土地を生きる人々の心と力が第一なのだから。