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新しい時間

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年1月9日

エッセイスト 山本 兼太郎 (第2544号・平成18年1月9日)

賀正―と申し上げただけで、諸事改まって、さあ今年も新しい時間を踏みしめて、といった新鮮な気分になってくる。

東京国際女子マラソンで、めでたく優勝したのは、ご存知の高橋尚子さん。大歓声の中でゴールに入る。そして、差し出されたマイクに向って、「明日からどうしますかって?…走るという新しい時間が、また始まるだけです」とにこやかに答えていた。「新しい時間の始まり」という言葉が、特に印象深かった。2年間という多くの苦しい試練の時間を経て成し遂げた人の幸せな充実感であろう。

昔、週刊朝日を飛躍的に伸ばして、名編集長として知られた扇谷正造という人がおられた。アメリカのあるセールスマンの言葉だとして、次のように言っている。

「神はすべての人に平等で、1日24時間という時間をお与えになった。しかし、昨日の24時間は、すでに過ぎてしまって、どうすることもできない。あすの24時間はまだ手にしていない。そこで、今日のこの24時間を、いかに有効に使うか。これが人生の勝負である。」

扇谷さんは、この言葉をモットーに仕事をしてきたと言っておられた。

今日の24時間を有効に使うには、朝、目が覚めてからでは、もう遅い。前の晩までに、あすの24時間をどうするかを、決めておかねばならない、というのである。明日のために、今日の24時間の一部をいかに使うかである。

高橋尚子さんをして「あすからまた新しい時間が始まる」といわしめたのも、2年間にわたる試練の時間が原動力となっているのであろう。そして、東京国際女子マラソンで見事勝利を得た翌日の朝早く、やはり一人で黙々と走っていたという。明日のためにである。

「汝の時間を知れ」これは、P・F・ドラッガーの近著「365の金言」の扉を飾る1行である。