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返り花

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年10月25日

エッセイスト 山本 兼太郎 (第2497号・平成16年10月25日)

スポーツの秋天候不順がつづいたせいか、この秋は桜など老木に狂い咲きが多いそうだ。わざわざ桜の名所まで、見物に行った知人、すれ違ったご婦人が「狂い咲きって、なんだか不気味みたい」と、つぶやいているのを聞いたと苦笑していた。

「老木(おいぎ)とて油断めさるな返り花」は、杉田玄白が70歳をすぎたころの句である。江戸中期の蘭方医で、当代きっての名医の玄白先生は、70歳をすぎても、ほとんど毎日往診に出かけるなど、せっせと小まめに江戸市中を歩き回っている。老齢になってからも、体を動かし、仕事に励むことが、健康の基であることを、身をもって示したような人である。

こんな老人を見ていると、最近のわが国の老人について、いささか気になる報道があった。日本、米国、韓国、ドイツ、スウェーデンの5か国の60歳以上の人を対象に調査したものである。病院などの医療サービスの利用状況について「ほぼ毎日から月に1回」と答えていた人は、スウェーデン13.2%、米国23.1%、ドイツ29.9%に対して、日本は60.2%とはるかに多い。その一方で「医療サービスに満足している」とする者は、米国76.5%、スウェーデン49%に対して、日本は32.2%しかいない。また、「週に何回ぐらい近所の人と話をするか」の質問については、米国、韓国、ドイツ、スウェーデンでは「ほとんど毎日がトップを占めているが、日本では25.5%しかいないという。

こうしてみると、日本では近所付き合いも希薄で、不平不満を言いながら、病院通いばかりしているという、まことに暗いイメージの高齢者の姿が浮び上がる。

これに比べると、足まめに歩き回りながら、「老木(おいぎ)とて油断めさるな返り花」などと、往診の途中で、茶屋の小女でもからかう、明るく茶目っ気のある老医師が、老人の理想のように思えてくる。この玄白先生「医は自然にしかず」の一語を残して、世を去ったのは85歳である。立派としかいいようがない。