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根付き

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年3月29日

エッセイスト 山本 兼太郎 (第2474号・平成16年3月29日)

猫の額ほどの庭の片すみに、いつのまにか苔が生えて、手のひらぐらいの大きさに広がっていた。みずみずしい緑にひかれて、こんな小さな庭でも、苔で埋めたらさどかし・・・と、よそから苔を手に入れて、植えてみた。ところが、いくらやってもうまくいかない。自分の力で、そこに生えているものだけが、生き生きとしているが、よそからのものは、根付くことが、大変難しい。

「鬼平」作者の池波正太郎さんが結婚のさいに、頭を痛めたのは、家庭へうまく根付いてくれるかどうかであった。なにしろ、母と二人暮らしのところへ嫁を迎えた。作家は一日中家にいて、仕事をしなければならない。姑と嫁が、毎日喧嘩ばかりされては、たまったものではない。そこで、一家のもめごとは台所、つまり食べ物から始まると考えたところが池波流で、ユニークなとり決めをした。要約すると次のようなものである。

一、おれ(池波)は自分一人で食事をする。その食事はお前(夫人)がつくる。

二、おれ(池波)の食事がすんでから、おまえ(夫人)は母といっしょに食事をする。その食事は母がつくる。

母と妻をいつもいっしょに食事をさせ、母の味がいつのまにか嫁にも伝わるようにしむけたのである。

初めはとまどいもあったろうが、そのうちに池波夫人は「煮物はやはり年寄りがおりませんとね」と、こだわりもなく人に話をするようになるし、母もまた息子の好物の「白和え」などをつくってくれるようになったと池波さんも、嬉しそうにいっていた。

知人の庭師に、苔の根付きの話をしたときに、池波さんの話もしたところ、彼は思わず膝を叩いて、そのとおりだといった。まず苔を細かくちぎって、その土地の土によくまぜてから、地面に置けばよろしい。ないのは、よくまぜることだ、と真面目にいっていた。