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育てる

印刷用ページを表示する 掲載日:2003年9月8日

エッセイスト 山本 兼太郎  (第2452号・平成15年9月8日)

モノが巷にあふれて、心が痩せ細ってしまったとの嘆きを聞く。

敗戦から3、4年のころである。評論家の高田保さんが、神奈川県大磯に引越したとき、荷物を入れようとして押入をあけると、小さな紙包みがある。前日まで住んでいた未亡人の名刺がはってあり、高田さんの奥さんあてになっていた。あけてみると、上等な障子紙が一本と、未亡人手作りの雑巾が数枚入ってい。『本来ならば障子の破れもつくろい、きれいに掃除もしたうえでお引渡しするのですが、こちらも急な引越しのごたごたゆえに…という行き届いた静かなあいさつが聞こえてくるようだった』と、高田さんは感動の溜息まじりで書いている。この未亡人は島崎藤村夫人であるとも付け加えていた。

こうなると、「障子紙と手作りの雑巾」は、もはや単なるモノではなくて、洗練された心の表現である。受取る方にもまた「行届いた静かなあいさつ」として感動する豊かな心がないと、「なんだこりゃ」とばかり無意味なものになってしまう。

母親が毎朝、御飯を弁当箱につめて、子供に手渡しながら「いっていらっしゃい」と優しく声をかける。コメ離れの風潮と子供たちの心の荒廃を憂いて、このような「米飯持参の学校給食」を叫びつづけていたのが、静岡県豊岡村の村長をしておられた藤森常次郎(平成10年死去)さんである。

親から子へ、手から手への優しく暖かい言葉を添えて渡す。こうした日常の行為に、人間として豊かな情感が自然とはぐくまれ、また相手の心を理解する心も育っていく。押入の片隅に、そっと置いてあった「障子紙と手作りの雑巾」の心使いに感動する心もまた日常の生活から育っていく。

教育とは文字どおり教えるだけでなく育てることである。教えるだけで、育てることがなければ、予想もできない事件が増発するだろうと藤森さんは予言していた。