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ソフトな老後

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年10月7日

エッセイスト 山本 兼太郎 (第2414号・平成14年10月7日)

ある地方都市の金融機関のトップをしていたAさん、70歳を前にその座を退くと、ふと消息が絶えてしまった。心配していると、その土地の博物館の案内人をひっそりとやっていた。若い頃からよくとおる美声と、いささかの趣味をいかして、見学にくる小中学生や、観光客を相手に楽しそうに説明している。もちろんボランティアである。ああ、さわやかな老後だな、とうらやましく思ったりしたものだ。

老後というのは、何歳からだろうか。定年退職の60歳からだという人もあれば、一般に老人といわれる65歳からだという人もいる。第一線を退いて、一日のほとんどの時間を自由に使うことができる。そんな年代のことだといわれたりする。年をとれば、だれでも年相応に老化や身体の故障が忍びよってくる。それらを上手に受け入れながら、日常生活を楽しく過ごすのも、老後の条件であろう。

病気と健康は水と油のように、全く相いれないものではない、というのが「病の文化史」が専門の北里大学名誉教授の立川昭二さんである。日本人は元来、健康と病気をはっきり切り離さず、病気という弱点をも抱え込みながら暮らしてきた。水と油を上手にまぜあわせるとクリーム状になる。より多く空気をまぜれば、いっそうソフトなクリームになる。ここはひとつ、水と油すなわち健康と病気に空気(生活環境)をうまく取り入れて、老後をソフトに生きようではないか。

そういえば、さきにのべた博物館の案内と説明のボランティアをしているAさんも、高血圧に胃腸障害などを抱え込みながら、老後を自分流にソフトに生きている一人である。

そんなAさんに「老後とはいくつからか」と聞くと、明るく元気な声が返ってきた。「私の老後は常に10年さきだ。私がいくつになろう

ソフトな生活人はユーモアも忘れなかった。