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「球車」の発想

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年4月15日

エッセイスト 山本 兼太郎 (第2395号・平成14年4月15日)

女の涙とか、男の涙が……と騒がれたが、多くの日本人が、本当に心から泣いたのは、56年前の昭和20年8月15日。敗戦の詔勅に茫然自失となったときである。

柔道の三船久蔵十段も「これからの日本は、いったいどうなるのだろうか」と泣いた。泣いているうちに、柔道の技を考えついたというから、やはり尋常ではない。

戦いに負けて、無条件降伏というのは、いわば断崖絶壁に追いつめられた状態である。これ以上は一歩も引くことができない。

人は切羽詰まると、思いもよらぬことを考える。このときも三船は、なぜか地球はまるい、それでは人間もまるくなってしまえばよいと思ったという。球になれば、倒れることはない。ただ転がるだけである。

柔道は相手の力を利用する。「押さば引け、引けば押せ」がその原理である。ところが、「押さば引け」ではなくて、「押さばまわれ」である。押されると同時に、体をひょいとまわせば、相手は空を切って断崖に落ちていく。敗戦という深刻な状況のなかで、泣きながらの発想である。「球車」という技はこうしてできたとたまぐるまいうのである。

理屈はともかく、技術的に修練を積んでいろいろ応用してみると、面白いように成功した。例えば、目の前に大きなモノをどかっと置かれると、驚いて必ず後ろに飛びさがる。ところが、置かれたものが小さければ、後ろへさがるよりも、ひょいと前へ出て飛び越えようとする。人間の心理の妙である。

敗戦の年の三船久蔵は60歳。身長159センチ、体重59キロというから、そのころでは平均寿命をはるかに超えた小柄な老人である。この老人が、ひょいと身体をまるめて沈めると、2メートルもある外人が、思わず前に重心を移して、その拍子に面白いように宙を飛んだと、楽しそうに語っておられた。

すべてが変革を求めて身をよじっている昨今である。球になってころがるか、跳びはねるか――。