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ラブレター

印刷用ページを表示する 掲載日:2001年2月26日

エッセイスト 山本 兼太郎 (第2347号・平成13年2月26日)

若い友人の携帯電話に入ってきたEメールを見せてもらったら、「好き!いっしょに住みた―い」とあった。ラブコールである。

この言葉には、うそいつわりはなかろう。率直簡明でよろしいといおうとしたが、思わず黙ってしまった。文面からは、人間としての情感もなければ、生活の匂いも感じられない。「好き」「いっしょに住みたい」と、ただそれだけの、即物的で動物の鳴き声にも似た単純な信号のやりとりとしか思われなかったからである。

いまの若者は、たしかに感情は豊かになっているといわれる。ところが、それを整理して、相手の心に届くようにつくりあげる言葉を持っていない。常にいらいらしたり、奇矯なふるまいや暴力的な行動にでたりする原因の1つになっているのではなかろうか。

そんなことを考えながら新聞を見ていると、「心に響く3行ラブレター」を募集したところ、12,000通も集まったという記事があった。その最優秀賞というのが、「あなたを見舞った帰り道、ちょっぴり切なくなって、一番赤いリンゴを買いました」というものだった。健康のシンボルである赤いリンゴに込められた切ない回復への願いが伝わる作品として評価されたとあった。

人の情は身近なモノあるいはコトガラに託してこそ、相手の心に素直に伝えられる。天才的な抒情詩人といわれた室生犀星(芸術院会員・昭和37年没)の若いころのラブレターに「あなたがネギを買いに、僕は牛肉を買いに行く。そんな生活をしてみませんか」というのがある。「好き」とか「いっしょに住みたい」といった生(なま)な言葉はない。きわめて簡潔な表現の中に、庶民にはちょっぴり贅沢なスキヤキの匂いまでが、ういうい初々しい愛情となってただよっている。

ところで、さきの女性からのEメールの返事はどうしたかと、かの若い友人に聞いたところ、「だ―め」とひとこと返しただけです、ということだった。やはり鳴き声風返事だった。