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牛乳のこと

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年9月25日

エッセイスト 山本 兼太郎 (第2329号・平成12年9月25日)

身長5尺1寸(153センチ)というのは明治のはじめ、20歳の日本男子の身長だった。文明開化・富国強兵の時代の人たちが見る異人さんに比べると、あまりに貧弱である。されば欧米人にならって、牛肉牛乳を大いに用うべし、と時の指導者たちは盛んに奨励した。

明治3年、腸チフスを患った福沢諭吉は、牛乳を飲んで元気を回復すると、さっそく宣伝文をたのまれて書いている。「牛乳を以て根気を養わざれば良薬も効を奏さず」とか「不治の病を治し不老の寿を保ち……」など、当時の指導者の牛乳に対する考え方が分かって面白い。

さらに明治天皇に牛乳を飲んでもらったり、そうかと思うと、変っているのは、初代軍医総監の松本順である。当時たいへんな人気役者だった女形の沢村田之助を吉原によんで、大勢の芸者の前で、うまそうに牛乳を飲んでもらって評判になっている。とはいっても、しょせんは花柳界だけの評判で、大衆のものではなかった。

食の習慣ほど保守的なものはない。一般にはまだ牛乳を飲む習慣はなく、そんなものを飲めば、頭に角が生える、といわれていた時代である。それに、なによりも値段が高かった。明治8年ごろで、牛乳1合が5銭。かけそば5~6杯分の値段である。

そんな時代から百数十年。牛乳は近年では国民1人当たり200ccビンにして、1年間に166本を消費していることになるという。そうした牛乳のせいばかりではなかろうが、日本人の体格も見違えるようによくなった。特に戦後の民主主義の中での若者の手足の伸びは著しい。自由に伸びた自分の手足を、自分でどう扱ってよいか分からないようである。

一方、牛乳の方は、この夏、一部の不祥事から、乳製品の思わぬ一面も明るみに出たりして……。明治のころの、あの熱心な指導者たちも、唖然としているかも知れない。