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虫かごのお中元

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年7月24日

エッセイスト 山本 兼太郎 (第2323号・平成12年7月24日)

Aさんから、今年も雄と雌のスズムシの入った、可愛いらしい虫かごが届いた。虫かごには、手作りの荷札がついていて、「暑中お伺いします。今年の夏も元気で乗り切ってください」と書いてあった。

生きものをもらうのは、本当は気が重い。飼い方が不慣れなために、もし死ぬようなことでもあれば、かわいそうな思いもする。そうした当方の心を見すかすように、別に封筒が添えてあって、カツオブシの粉と飯つぶを混ぜ合わせて「丸めたもの」だという、特製のエサが入っていた。

キュウリやナスばかりでは、動物性たんぱく質が不足して共食いをする。特に、雌にこの傾向が強いので要注意ですぞ、と書いてあった。それを防ぐには、この「丸めたもの」に限ると、親指とひとさし指で、まるを作っている絵をユーモラスに添えてあった。

こんな洒脱(しゃだつ)な一面もあるAさんは80歳に近い。奥さんと2人暮らしだが、奥さんはアルツハイマーが進んで、一日中ぼんやりと座っているだけである。様子をみては、時々用便につれていかねばならない。

そんなAさんに大腸ガンが発見された。手術を受けて人工肛門だが、すでに他の臓器の転移も確認されている。彼が床下でスズムシに卵を産ませて飼育を始めたのは、それからである。

梅雨の終わりごろになると、生まれた小さな生きもののなかから、元気のよさそうな雄と雌をひとつがいに選んで、親しい人に配っている。ひと夏の短い命であっても、澄明な美しい声で、人々を楽しませてくれれば、それでよいではないか。届けられた虫かごには、死を意識したAさんのそんなメッセージがこめられている気がしてならない。

「死をいかに生きたか」――というのは、聖路加国際病院の看護大学長を長くされた、日野原重明さんの言葉である。