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もったいない

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年7月26日

エッセイスト 山本 兼太郎 (第2281号・平成11年7月26日)

御飯を1粒残しても「もったいない」と叱られて育った世代である。「もったいない」が身について、時代ばなれしていると笑われたり、嫌われたりしている。

かつて、銭湯で身体を洗うのに使う湯は、1人が湯桶に25杯が標準といわれたものだ。この数字はいまも変っていないらしく、最近、銀座の銭湯の主人も、湯桶25杯といっていた。女性はそうもいかないらしい。極端な人になると、100杯も使う人もいるそうだ。

筆者も近所の銭湯でためしてみるが、やはり23~4杯というところである。時代が変っても、身体を洗う習慣や使う湯の量は、そう変るものではないらしい。

「水を訪れる」の著者の山口嘉之さんによると、人間が生物学的に生存するのに必要な最少限の水は、1人1日2.3~2.8リットルだという。しかし、我々が日常生活をするには、この程度の水では足りるはずがない。例えば、少し古い数字だが、水道の利用状況でみると、東京の場合では、1人1日平均で447リットル使っている。といわれても見当もつかないが、1升ビンにすると248本である。4人家族では1,000本近い数字になる。毎日これだけの水を惜しげもなく消費していると思うと驚くばかりだが、上には上があるもので、アメリカのサンフランシスコの場合は、この3倍も使っているそうだ。

このごろ銭湯でも、時々外国人を見かける。湯舟につからないで、シャワーで身体を洗って帰る人が多い。習慣の違いなのだろうか、十分以上もシャワーを出し放しにしては、身体を洗ったり暖めたりしている人もいる。東京の水道の蛇口は、1分間に12リットル出るそうだ。10分間では120リットル、66本以上になる。しかも湯である。

「ああ、もったいないなあ……」とやはりいってしまった。