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風の動き

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年4月26日

風の動き

エッセイスト 山本 兼太郎 (第2270号・平成11年4月26日)

春風――目には見えず、つかむこともできないが、動物植物は何かを感じ取って、いっせいに芽生え、花をつけ、動き始める。1年のうちで、最も美しく力強い出発の季節である。そんな春の風の表す言葉は、和風、東風など25種類もあるそうだ。

風といえば順風というのもある。追い風のことで、順風万帆は人生でいえば、すべてがうまくいって、得意絶頂のときである。ところがこのときほど危険な状態はない。得意のあまり、周囲の情況が見えなくなり、風の変化にも気付かなくなってしまうからである。

岡田啓介というのは、二・二六事件(昭和12年2月26日)のときの総理大臣だが、総理になると見えなくなってしまうものが3つあると嘆いておられたそうだ。第1がお金の価値で、存分に使えるからである。第2は人。取り巻きばかりが多くなって、本物の人物がかすんで見えなくなってしまう。第3は国民の顔で、どちらを向いているのか分からなくなる。

せんじ詰めれば、金と人と世間の動きが見えなくなるというのは、政治家にとって恐ろしいことに違いにない。

これもまた昭和のはじめの大不況時のことである。なかでも農村の疲弊は著しく、厳しい恐慌にあえいでいた。そのころ、東北のある地方で、農家を訪問しては指導して歩く指導員という人たちがいた。その人たちが、農家の人に接する日ごろの心得をまとめた「農村指導者の心得」に、「耳の使い方」という一項がある。「かげ口、うわさ、悪口などは自分(指導員)への反省の師とすること」というものである。上に立つ者に吹く世間の風を、いかにとらえるかということであろう。

せっかくの「風」でも、心に留まらないようでは、失格である。中国の古い言葉では、これを「馬耳東風」といっている。