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崩れた二つの神話とこれから

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年3月13日

東京大学名誉教授  大森 彌 (第2553号・平成18年3月13日)

日本にはタダで美味しい水があり、日本の地域は夜、女性や子どもでも1人で歩けるほど安全であるといわれた。この水と安全への信頼は、もはやだれも信じない神話となったといえるかもしれない。

もちろん、上水道の普及が進み、蛇口をひねれば飲める水が出てくる。水道料金を払っているから、水はタダではない。しかし、食事処で「おひや」は今でもタダなのである。

その「おひや」に替わってボトルウォータを注文する客が出てきた。都市部は言うに及ばず、農山村でも、清涼飲料水とともに ボトルウォータが横行している。硬水の

ヨーロッパ諸国ではビン詰めの水は珍しくはないし、公衆衛生が十分でない途上国での旅行では必ずボトルウォータを勧められる。しかし、豊かな軟水があり公衆衛生が整備されている日本で、なぜ、これほどボトルウォータが氾濫しているのであろうか。

手軽で便利が、その理由であろうが、水道水が美味しくなくなったからでもある。取水源である河川等が汚れて、飲み水にするには強い塩素消毒が必要になった。カルキ臭の水が水道水となった。美味しいかどうかはともかく、多くの日本人が愚かしくも水道水に替わりボトルウォータを消費している。「おひや」で十分というように、河川等がよみがえることはないのであろうか。

人々の日常の暮らしでは安心・安全が基礎条件である。それが脅かされ、危なくて子どもを外で遊ばせられないなどということは、本当に由々しき事態である。このところ、万引きやピッキング、痴漢やストーカー、家庭内暴力や児童虐待や校内暴力、違法駐車・駐輪など、身近な犯罪が激増し、社会生活上の不安が高まっている。一般に子育てを通じて備えるべき自己規律の力が弱まってきたのかもしれない。しかも警察

官のいない交番も目につくようになった。地域によっては住民が防犯 のパ トロールを始めている。

日本社会が安心・安全ではなくなった背景には、現在の警察制度が機能不全の状態に陥っていることがあるかもしれない。都道府県警察といっても、実際には警視正以上を国家公務員である少数の地方警務官が占め、集権的な組織・人事の仕組みとなっている。警察官の数は増えているが、身近な犯罪対応はあまり改善されてはいない。どうやら、基礎自治体が地域社会における秩序維持の権限(警察権の一部)をもち、その責任ある行使主体になる必要性が出てきたのではないだろうか。