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市町村合併と住民投票

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年1月31日

千葉大学教授・東京大学名誉教授  大森 彌 (第2507号・平成17年1月31日)

現行特例法の適用で合併が進んだ後の市町村数が2,400台になる見通しともいわれるが、それは政権党の選挙公約である「市町村数1,000目標」がなかなか達成しがたいことでもある。来年度から5年間の新法での合併でも、この目標が達成できなければ、どうするつもりなのであろうか。

それにしても、今回の合併の動きを見ると気になることは少なくない。その一つが合併の是非を問う住民投票の実施である。特例法上は、住民発議の協議会設置が議会で否決されたときには住民投票にかけうることになっている。これは、合併に消極的な議会の意思を越える方策として組み込まれたものであるが、根本には合併が自治体の最重要決定事項であるから住民の直接判断に委ねてしかるべきだという考え方がある。こうしたことが間違っているわけではないが、現に行われている住民投票(アンケート形式を含め)には、合併是非の結果にかかわりなく、疑問を感じるケースがなくはない。

もし住民の直接意思で自治体の将来を決めるというのであれば、まず、公選職(首長と議員)が分かりやすい資料と提案をもって住民の中に何度でも入り、自分たちの考えを訴え論議することが必須の前提条件であるはずである。問題なのは「バスに乗り遅れまい」として、根拠の曖昧な見通しの暗い「財政シミュレーション」を持ち出して、しかし、自分たちでは責任をとりたくないため安易に住民投票にかけようとするケースである。その結果がどうであれ、厳しい評価にさらされ歴史に責任をとらなければならないのは公選職のはずである。その覚悟がない人は辞職すべきなのである。

合併の住民投票の結果が是であれ非であれ、住民はどういう責任をとりうるのであろうか。少なくとも住民投票後は、住民は、今後の自治体運営において自ら「身銭を切る」ことを含め参加と協働に乗り出す責任がある。果たして、そうするであろうか。そういう町村もあるが、住民投票でその責任が霧散してしまえば、その後の自治体はさしたるものにはならないであろう。それを問い続けたい。