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「再訪の地」考

印刷用ページを表示する 掲載日:2001年7月23日

千葉大学教授・東京大学名誉教授 大森 彌 (第2364号・平成13年7月23日)

交流人口を重視した地域づくりの基本は、いうまでもなく、通俗的な意味での観光地ではなく、再訪の地(リゾート地、ホリデイの地)の形成である。いうところの観光地とは、人生で一度訪れたら、二度と行かなくてもよい土地のことである。文字通りの一時豪華主義の旅先である。だから、そこでの自然、建物、行事、人とは「行きずり」であって「出会い」にはならない。その土地の人々の喜怒哀楽には関心がない。旅の恥はかきすてになり、無責任に振る舞える。要するに、享楽と喧噪と無軌道が楽しいのである。

これに対して、同じ旅でも、その旅先で「出会い」があれば、その土地で暮らす人々への共感と交流が生まれる。一度訪れたら、もう一度、二度訪れたらもう一度と、幾たびかの再訪の地となる。おそらく、再訪の地は、英語のholiday を過ごす地となる。holi とは、whole 全体の意であり、休日とは、人間としての全体を取り戻す日ということになる。また、英語のresort とは、re 再び、sort 甦る、すなわち再生という意味である。疲労し消耗している肉体と精神に活力を取り戻し、新たに生きる力を獲得することである。

したがって、再訪の地は、癒し、安心、健康、愉しみのサービスに徹していなくてはならない。しかし、それは決して外部の人間に媚びることではないし、その土地の人々に不快や犠牲を強いるものであってはならない。むしろ、そこで暮らし人々の生き方と生きがいに通じるものでなくてはならないだろう。

外部から人が来て、休暇を過ごし寝泊まりする以上、サービス業の苦労や困難は付き物である。接遇一つとってみても気苦労が多い。最初の印象が脳裏に焼きつく。悪印象を植え付けてしまえば、それは先入観としてその土地への固定イメージとなってしまう。出会い頭が勝負ということになるから、ゆめゆめ、慢心してはならないであろう。一つでも多くに再訪の地を持ちうること、これが、これからの人生の豊かさではないかと思う。