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民意を信頼し民意に問う

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年1月17日

東京大学大学院総合文化研究科教授 大森 彌 (第2299号・平成12年1月17日)

選挙で選ばれる町村長と町村議会議員には、選挙の苦労知らない大学の学者などには分からない「民意」へのおそれがあるという。民意は自分を見放し落選させるかもしれないからである。民意は眼に見えない。しかし、選挙ではその眼に見えないものが決定力をもつ。

そこで、この民意に対する態度がわかれる。1つは、こわい民意はできるだけそっとしておきたいという態度である。もう1つは、こわいことには変わりがないが、むしろ民意に問いかけ、民意を喚起しようとする態度である。

従来、比較的に狭域で顔見知りが多い町村の自治運営では、特に直接明白な利害関係がないと思えば、住民は「お上(役場)任せ」で、役場もいちいち民意に問いかけをしないできた。住民参加といえば、毎年の予算編成の前に、三役と幹部職員が、地元選出議員を含む地域懇談会などの場で住民の要望を聞き、できるものを予算に反映させる工夫をしていれば上出来と考えられてきた。もちろん、この陳情型の民意吸収にも意義がないわけではない。しかし、これはまだ「民意はできるだけそっとしておきたい」という態度に属している。

本格的な住民参加は、住民が要望・陳情型の活動から1歩出て、何が町村が取り組むべき課題であり、その解決には具体的に何をすべきであり、また何ができるのか、そのためにはどれくらいの手間暇とお金がかかるかを、100人規模の公募委員を含むワーキング・グループのような場で住民と役場が一緒に議論し、進むべき方向を決め、それを役場が実施していくことである。そうすれば、町村行政は、住民を一方的に楽にさせる行政ではなく、住民もまた何らかの身銭を切る行政へと転換していく。この住民参加は民意を信頼し、民意を喚起することなしには実行されない。どちらを選ぶかが「分権型社会の創造」のゆくえを左右するだろう。