ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > コラム・論説 > 震災復興が語る農山村再生

震災復興が語る農山村再生

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年1月19日

コモンズ代表・ジャーナリスト 大江 正章 (第2905号・平成27年01月19日)

中越大震災から10年。大きな被害を受けた2つの地域を12月に訪ねた。十日町市最北部の池谷集落と旧山古志村(現在は長岡市)だ。

池谷は1960年の37世帯211人から、震災直前には8世帯22人まで減少していた。過半数が65歳以上である。震災では全家屋が半壊以上の判定を受けたという。これをきっかけに、 廃村になってもおかしくなかっただろう。だが、多くのボランティアが訪れ、集落の「宝さがし」イベントが行われて地元の魅力を再発見するなかで、住民たちは「村を残そう」と考えた。 そして、支援者とともに、①消費者と直接つながる農業、②本音の付き合いでイベント交流、③住居・仕事・所得の確保、などを柱とする復興計画をつくりあげていく。

2006年度から棚田で栽培した「山清水米」の直販が始まり、13年度は10トンを超えた。農家の手取りは1俵2万4000円だ。 休校した小学校は修復されて宿泊もできる「やまのまなびや」として蘇り、手打ちそばが人気の民宿も開業した。さらに、地域おこし協力隊の一家4人や若い女性が移り住み、9世帯22人に。 現在、次の移住者用に住宅を新築中である。いまでは関係者の間で「奇跡の集落」と呼ばれている。

全村避難で有名になった山古志は、長岡駅から中心部まで約30分。池谷と同じく、平均3メートルの雪が降る。人口は大きく減ったが、移転先から農作業に通う住民は少なくない。 ここでは、震災後に2つの農山村ビジネスが生まれた。アルパカ牧場と農家レストラン多菜田である。

縁あって寄贈されたアルパカはラクダ科で、牛の仲間。闘牛が盛んな土地柄だから、飼育に問題はない。施設に手間をかけない代わりに入場料は無料にし、餌を買ってもらう。 おみやげやサービスは地域全体で提供する。土・日には1000~2000人が訪れる観光スポットが誕生したのだ。アルパカはリースも行う。 また、地元の野菜や山の幸をふんだんに使った多菜田(直売所併設)は味も量も雰囲気も最高で、賑わっている。

詳しくは、稲垣文彦ほか著、小田切徳美解題『震災復興が語る農山村再生――地域づくりの本質』(2014年11月刊)を参照されたい。