法政大学教授 岡崎 昌之 (第2572号・平成18年9月4日)
農山村や漁村を訪れると、よくぞ美しい景観を作り上げたものだと感激することがまだある。多くの場合、その美しさは山の懐に抱かれた集落であったり、集落内の路地などに見受けられる。美しさの要因は、屋根瓦の色や家屋の形体が揃い、集落として統一性を保っていることであろう。欲をいえばこれらの生活空間を取り巻く自然がきちんと手入れされていることが望ましい。
こういうときに何時も思い描くのが、中国山地西部に点在する集落である。島根県石見地方、広島県北、山口県東部になる。この地域の集落では殆どの家屋が石見に産する石州瓦で屋根を葺いている。年月を経たお寺や民家の石州瓦は、風雪を染み込ませた味わいのある赤黒い瓦になっている。
若い人が家を新築する際には赤や青の瓦を使いたいだろうと思うが、周りと折り合いをつけながら、集落全体が石州瓦となっている。集落という共有の空間を美しく形成するためには、集落全体に思いをはせつつ、自らの私的空間を共有空間に馴染ませるという自律的精神が必要とされる。これらの集落にはこの精神が脈打ちながら生きているに違いない。
公共と民間という2つの空間が対立的に存在するのではなく、パブリックとプライベイトが1歩ずつ互いの中に踏み込み、両者が溶けあった領域や空間をいかに拡大するかが、美しい景観や風景を形づくる基礎になる。
最近、皇居を取り巻く道路の一部のガードレールが木製のものに変えられた。落ち着いた濃いグレーのものである。国立公園内の道路も部分的ではあるが木製ガードレールに変ってきている。日本でも有数の美しい集落が点在する中国山地西部であるが、白い鋼鉄製のガードレールはこの地域の風景に馴染まない。山口県に入るととたんに県管理の道路のガードレールが黄色になる。県特産の夏みかんの色にしたということを聞くが、これは馴染まないどころか、風景にとっては異物だ。公が折り合うことをせず、景観や風景を乱していることが、往々にしてある。