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堀川めぐり

印刷用ページを表示する 掲載日:2001年2月19日

福井県立大学教授 岡崎 昌之 (第2346号・平成13年2月19日)

山陰を代表する地方都市、松江市は、中心部に象徴的にそびえる松江城、市街地の西に広がる宍道湖など、四季を通じて美しい町である。松江城はもともと宍道湖の水を最大限に活かして築城された。城を防御する堀も宍道湖から引かれ、現在の堀川となった。外堀の内側に配された武家屋敷には、舟運で運ばれた物資を屋敷に入れるための石段が今も残っている。お城の周辺の田圃にも、お堀の水が使われ、日本海からの塩水を防ぐため5箇所の水門もあった。大正期まで川と舟運が松江を支えた。

しかしご多分にもれず、生活や物流の仕組みが変わると、人々の目は水路から道路へと移っていった。昭和40年代後半の高度成長期の頃には、生活雑排水が堀川に流れ込み、川底にはヘドロもたまり、悪臭すら漂うようになった。人々の生活は堀川に背を向けるようになった。

そんな堀川をもう一度取り戻そうと、平成になって地元青年会議所などから声が挙がり、市も積極的に支援した。堀川に向き合う生活を取り戻すには、川を楽しむ仕組みを作るのが一番、と考えられたのが遊覧船による堀川めぐり。ぐるりとお城を一回りする3.7キロのコースが取れる。しかし難問は、季節によって上下する川の水位。高ければ船は橋につかえ、低ければ底をこする。農業者とも話し合い水門を閉じ、調節用のポンプで水位を一定にする仕組みを整えた。市民や観光客向けに正式にスタートしたのは平成9年7月20日の海の記念日。

松江を訪れる人々の評判も良く、今では年間30万人を越える利用者がある。遊覧船も40艘に増え、平均年齢62歳、60人の船頭さん達の心憎い松江案内も乗客に好評だ。かつてのドブ川が松江市民の誇りとなってきた。