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地方創生の北風と太陽

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年8月24日

明治大学教授 小田切 徳美(第2930号・平成27年8月24日)

昨年以来、「増田レポート」の嵐が吹き荒れている。「消滅可能性自治体」を導き出した推計は、いささか乱暴なものであり、説得力があるものではない。それにもかかわらず、このレポートに、 ある種のシンパシーを持つ人々がいるのは、「地方消滅」というショックが地域の危機意識を生み出し、「地方創生」への転機となるという期待からではないだろうか。事実、「推計は乱暴だが、 それが社会に与えた影響は評価できる。人口減少問題に対して自治体が真剣になった」という者もいる。

果たしてそうであろうか。そもそも、ショックを受けて、はじめて人口減少問題を真剣に考え始めた自治体が本当に農山漁村にあるのだろうか。そこでは、過疎対策として、 過去も現在も人口減少という現実に向かい合っているはずである。

さらに、考えるべきは、このレポートの危機意識を過剰に煽る手法についてである。コミュニティー・レベルで、いま焦点となっているのは、諦観からの脱却である。 進みつつある空き屋や耕作放棄の増加の中で、人々は時として、問題の解決を諦めてしまうこともある。そうならないことが、「地方創生」のスタートラインである。現場では、 住民のそのような意識と日々闘っている。そうした時に、名指しして、将来的可能性を「消滅」と論じることは、まさにその諦めの気持ちを急速に拡げることにはならなかったであろうか。

必要なことは、地域に寄り添いながら、「○○さんの息子はあと3-4年でここに戻ってくるだろう」「あの空き屋なら、移住者が入る可能性がある」などと、具体的に考え、 地域の可能性をひとりでも多くの人々と共有化することではないだろうか。「地方創生」はこうした取り組みの延長線上に見えてくるものである。

これは、あたかもあのイソップ童話の旅人をめぐる「北風」と「太陽」のようである。地域の再生を願いながらも(そう信じたい)、「消滅」という北風を吹かせて、 結果的に地域の立ち上がりを制約してしまうのか。そうではなく、地域の可能性を温かく見つめて、「太陽」として地域に向き合うかの差である。

そして、自治体に問われているのが、増田レポートの有無にかかわらず、「太陽」の役割を日常的に果たしているのか否かである。 自治体が「太陽」でなくなったのを見きわめて、「北風」が登場した可能性があるからである。