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農山村と「地域再生」

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年6月14日

東京大学大学院 助教授 小田切 徳美 (第2483号・平成16年6月14日)

農山村では、いま「人・土地・ムラの3つの空洞化」が進行している。

1960年代から70年代前半の高度成長期に激化した若者の地域外への流出(人の空洞化)は、地域に残された親世代の世代交替期である80年代には農林地の荒廃化へと転化した(土地の空洞化)。そして、90年代以降には、「ムラの空洞化」がそれに折り重なる。高度成長の波にさらされても強靱にその機能を維持していた農山村集落(ムラ)の「危機バネ」がかげりを見せ、自然災害、鳥獣害、経済基調や政策変化等の様々なインパクトが、地域存続に決定的な影響を与え始めている。

しかし、こうした空洞化も現象面のそれに過ぎない。これらに随伴して、もうひとつのより本質的な空洞化が進んでいることを知る必要がある。

その理解のために、次のような場面を再現しておこう。ある山村では、独居高齢者の母が、年に1、2回の子ども達の帰省を待ちわびながらも、「うちの子には、ここには残って欲しくなかった」という。また、「若者定住」を力説する地域の経済団体の幹部は、別の場面で「いまの若い者は、都会に出るのが当たり前だ」という。

こうした場面に遭遇した時、地域の人々がそこに住み続ける意味や誇りを喪失しつつあると感じずにはいられない。それは「誇りの空洞化」と言えるのではないだろうか。高度成長期から現在まで続く農山村からの人口流出は、賃金・所得格差のみならず、このような要素も加わった根深いものであろう。

そして、この「誇りの空洞化」を払拭するプロセスこそが、実は「地域づくり」に他ならない。各地における試みの中で、「誇りあふれる地域を創造」「地域の誇りを発掘」などのスローガンがしばしば掲げられるのは、このような文脈においてである。そして、当然のことながら、現在の政策課題となっている「地域再生」もそうあるべきであろう。

「地域再生」は、農山村をこうした深みからとらえる必要がある。昨年10月に設置された地域再生本部は、「地域再生」の目標を、「地域経済の活性化と地域雇用の創造」として、規制緩和を中心とした各種のプログラムを準備している。しかし、それだけでは対応できない「誇りの空洞化」の存在を忘れてはならないのである。