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ふるさとの再生

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年5月12日

日本大学経済学部教授 沼尾 波子 (第2878号・平成26年5月12日)

NHKの「プロフェッショナル―仕事の流儀」という番組で、同時通訳者の長井鞠子さんの仕事が紹介されていた。福島県浪江町長が、 町の被災状況と復興の課題について行なったスピーチを通訳するシーンが印象に残った。

ふるさと。これをどう訳すか。

Home townと訳してしまうと、ただの地元という印象になる。ふるさとの再生とは、住宅を作ることではない。 そこには故郷への思いがある。「地域みんなの宝」であるふるさとを再生したいという思いをどう訳に込めるか。試行錯誤を重ね、長井さんは「Namie town as our home」と訳した。 日本語に直訳すれば「私たちの家、浪江」である。

町が一つの「家」であり、その土地で共に生きてきた。それを日本では「ふるさと」と呼ぶのだ。その、ふるさとの存続と次世代への継承を訴えるスピーチに込めた町長の思いが伝わる名訳である。

分権型財政システムの効率性を説く理論に、C.ティブーの「足による投票」がある。それぞれの自治体が、自地域で提供する行政サービスの質・量と、それに対する租税負担額を示す。 それを見た人々が、自分の希望にあった行政サービスを提供してくれる自治体を選んで、そこに居を移す。その結果、各地域に、似たような選好を持つ人々が集まり、それぞれの地域で、 住民の希望に合ったサービスが効率的に供給できるという考え方である。

生活が単なる「機能」の積み上げによって成り立つものであると考え、新たな土地での暮らしの「機能」を求めて人々が比較的容易に移住できる国土ならば、「足による投票」理論は現実味を帯びる。 だが、日本では、好きな洋服を選んで購入するが如く、自分の希望に合った行政サービスを提供する自治体を選び、その土地に引っ越すということにはなりにくい。

むしろ、限られた国土空間のなかで、人々は工夫しながらその土地に合った暮らしを営んできた。その営みのなかで、ふるさとは育まれてきた。さすれば、行政サービスを通じて、 生活の「機能」を確保することだけでは、ふるさとの再生は難しい。

「一つの家」としてのまとまりや繋がりを大切にしながら、風土に根差した暮らしを再生すること、そしてその手法を盛り込むことが、地域の政策形成に求められている。