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記念碑の管理とサービス

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年11月13日

東京大学名誉教授 西川 治 (第2336号・平成12年11月13日)

史跡めぐりは、生涯学習の人気種目であり、児童たちの総合学習、郷土教育にとっても好題材の1つである。戦後でも各地に各種の記念碑が多数新設されたが、その大部分は土木工事とか、文学や歴史に関するものであり、科学技術関係はきわめて少ない。

まさに神武いらいの全国測量を完遂した伊能忠敬(I・T)の顕彰碑でさえ、まだ十指にも達しない。今年はその全国測量開始200年になる。それを記念して上屋久町宮之浦川河岸に「伊能の碑」が建立された。当局に敬意を表したい。屋久島測量200周年は2012年になるが、その本部で最南端の海岸には、「神父シドッチ上陸記念碑」に優るとも劣らぬ顕彰碑を忠敬一行のために是非建てて頂きたいものと、屋久町に期待をかけている。

同じく鹿児島県頴娃(エイ)町には、昭和31年に「伊能忠敬先生絶讃の地」(内閣総理大臣鳩山一郎書)なる記念碑が番所鼻の海岸に立てられた。同町別府区観光委員会の尽力によるものだ。その付近一帯は、今日でも、“伊能百景”にふさわしい景勝地である。碑の裏面は海風にさらされているが、趣意書はどうやら判読可能である。

しかし、記念碑の新旧に拘らず、設置者の熱意に応えて地元民や教育委員会は、その管理保全と共に、拓本コピーや解説文のサービスも心掛けてもらいたい。

鹿児島市街を歩くと、明治史が身近に感じられる。ガイドマップを開くと、宿のすぐ近くに黒田清隆誕生地を示す赤丸が目についた。何度も丹念に探したり、住民にきいても分からない。観光課に電話すると、ファックスでその地点を教えるとのこと。さすが、と思い待つことしばし。やがて電話があり、「もともと標識は無かった」とのご回答。それならそうと地図の凡例を区別すべしと文句をつけた次第。

名所旧跡に富む自治体ならば、地理情報システムを使って、教育や観光の要望に即応するような配慮も必要ではなかろうか。