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空前の災害と後方支援

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年6月27日

早稲田大学教授 宮口 侗廸  (第2764号・平成23年6月27日)

5月中旬、岩手県遠野市に1泊して、空前の津波の被災地にお邪魔した。遠野市から現地に案内していただいた旧友の奥寺氏は、震災時は市の消防長で、3月の退職予定が延期になり、4月末日まで沿岸被災地の後方支援の先頭に立ってきた人である。

当日はまず釜石市街地の海岸近くで、建物の瓦礫とつぶれた自動車の山に愕然とした。しかしこれは序の口で、北の大槌町から山田町方面に向かうと、瓦礫の海の中にコンクリート造りの建物の残骸が浮かぶ光景が果てしなく続く。瓦礫の撤去がいつ終わるのかは想像もつかない。分厚い立派な防潮堤が随所で破壊されていたのも驚きであった。翌日の陸前高田市では、広かった市街地が完全に消えており、海岸近くの低地はまだ海水につかったままで、5階建ての集合住宅は4階まで完全に波に洗われていた。これ以上語るべくもない光景を目(ま)の当たりに見て、筆者は茫然として何も考えられなくなってしまった。

ただ、厳しい現実の陰で、人が人を支える無数の感動的な話が伝えられていることは救いである。地震で市役所の主庁舎が壊れた遠野市も、すばらしい後方支援を実践されてきた。停電で情報が入らない中、深夜に大槌町から峠を越えてきた男性のSOSが空前の被災の最初の情報だったが、遠野市は直ちに毛布・非常食・水・灯油を調達し大槌町に届け、深刻な現状を把握された。これを端緒として翌朝から50日間に被災地へ届けたおにぎりは、14万食を超えたという。

遠野市は4年前から三陸の地震・津波を想定した後方支援の拠点構想をつくり、実際に自衛隊等とともに訓練を実施してきた。この訓練があったからこそ、今回、自衛隊や外部の支援との連携を的確にとることができたと、奥寺氏も語る。当日も遠野市の運動公園の広い敷地を埋め尽くしていた自衛隊の車両とテントは、いざというときの後方の支援基地の価値を何よりも強く物語っていた。

今回の遠野市訪問の目的には、寝食を忘れて後方支援の指揮を執ってこられた本田市長への表敬もあった。市長には筆者が座長を務める総務省過疎問題懇談会にも加わっていただいているが、今回もコミュニティの崩壊を案じられ、遠野に仮設住宅をつくって集落単位で受け入れたい旨を早くから表明しておられた。1日も早い実現を願うものである。