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「鳴子の米」の進化

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年4月19日

早稲田大学教授 宮口 侗廸  (第2717号・平成22年4月19日)

この4月初旬、宮城県の大崎市の鳴子温泉を訪れる機会があった。平成18年度の過疎地域優良事例の視察に初めてお邪魔して以来、地域のリーダーたちとの交流が続いている。全国町村会の合併の実態調査のヒアリングでもお世話になった。

過疎地域の大臣表彰は、農家と温泉宿、そして手仕事の達人たちなどの協働による「鳴子ツーリズム研究会」の活動が対象だったが、そのときすでにそこから派生する形で、「鳴子の米プロジェクト」がスタートしていた。これは標高の高い地区の環境に適合する新品種を選び、そのおいしい収穫米を直接販売して小規模農家の手取りを増やそうという取組みで、結城登美雄氏のアドバイスのもと3戸の農家の30aで始められた、ささやかで偉大なチャレンジであった。

その後この品種は「ゆきむすび」と名付けられ、栽培面積は21年には36戸13haにまで増えた。地元の15の旅館が購入していることが何とも心強く、6割は地域外の購入で、早くから予約完売となってきた。冷えてもおいしく、おむすびに向く。米プロは21年度には地域づくり総務大臣表彰に輝き、昨年12月には、土日だけのおむすび食堂「むすびや」をオープン、近くの農家のお母さんたちが生き生きと働いている。

この2月には「地域力実践フォーラム」に由布院の時松辰夫さんを招き、木の活かし方を教わった。いま「むすびや」のおむすびは、木の魔術師の時松さんの器と箸で彩られている。真新しい桶は、奥地集落に住む桶づくりの名人金田孝一さんの手になるものであり、人の縁が小さなお店を大きく息づかせていることに、改めて感じいった。

筆者は19年度から始まるこの動きに感動し、当時の大学のゼミの4年の女子学生にそのしくみづくりを卒論の研究テーマにするよう勧めた。彼女は田植えを始め米プロの作業に通い、地元で可愛がっていただき、米への思い入れから、東京に30店舗を展開する「おむすび権兵衛」に就職した。彼女が社長を鳴子に案内したり、フォーラムに駆けつけたりしていることを今回地元で聞き、さらに嬉しい旅と相成った。