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一集落に一カフェを

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年8月19日

早稲田大学教授 宮口 侗廸  (第2489号・平成16年8月19日)

全国地域リーダー養成塾という、地域の人材養成に大きく貢献している学びの場がある。筆者もそこで楽しく働かせていただいているが、先日、5年前にこの塾で学んだ大分県緒方町の女性から、念願のカフェを開店することができたという、嬉しい便りが届いた。塾生の多くは自治体職員であるが、年間7回に及ぶ東京往復の交通費を自己負担して参加する貴重な民間人もいて、彼女もその一人であった。彼女はその後、小学校の放課後に低学年の児童を地域で預かるしくみを立ち上げるなど、多くの価値ある活動をしてきている。

地域の活性化は語ることから始まる。講義や書物から学んだことは、それを誰かに語り伝えるときに、頭の中で整理され、ようやく自分のものとなる。だからこそ、お互いに学んだことを語り合える点で、塾のような学びの場に大きな価値がある。

今、わが国の地域社会から交わされる言葉が減ってきている。少子化に加えて、都市までの通勤や共働きが増え、隣近所の情報がお互いに入りにくい状況にある。このような時代に、気軽に立ち寄ることができて、心ある店主を中心に多くの会話が交わされる場は、極めて大きな価値を持つ。

喫茶室であれ、軽く飲める居酒屋であれ、一人で切り回せるようなシンプルでこぎれいな場があればよい。そこには地域の情報が行き交うという価値に加え、思いがけず遠くの人との交流が生まれたりする。緒方町のカフェでも、地域の固定した人間関係からではない、すなおな会話が生まれているという。ここから人と人が支え合ういい関係が育つのではないか。

ヨーロッパは農村にもカフェがある。歩ける範囲に飲める場があれば、安心して会話が進む。観光カリスマでもある熊本県小国町の宮崎町長は、一集落一居酒屋が持論である。それに大きく共感してきた筆者としては、緒方町のカフェの成功を祈りつつ、あらためて一集落一カフェ論を唱えておきたい。