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類まれな自然史と社会史

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年10月21日

早稲田大学教授 宮口 侗廸  (第2415号・平成14年10月21日)

沖縄本島の東360キロに南北大東島がある。赤道付近にあったものが、沈降しながらフィリッピンプレートに乗って北上し、5千万年近くかかって今の場所にたどり着いたという。サンゴ礁の形成が沈降速度に負けず上へ上へと伸びたために、島は優美な姿を海上にとどめた。深海の底から2本の柱が伸び、その上の平らな部分がわずかに海上に顔を出しているのである。

まわりの海は深く、島のまわりは切り立っている。波は荒く容易に船を寄せつけないため、ずっと無人島であった。この絶海の孤島に目をつけた八丈島の玉置半右衛門氏が、南大東島に23人の開拓民を送り込んだのが明治33(1900)年のことであった。その後サトウキビの栽培と製糖業が栄え、戦後、農地が製糖会社から農民の手に渡ったため、1戸あたり経営面積が沖縄で最も大きいキビ栽培が行われている。

南大東島は環礁という、まわりが高く真ん中が低平な形の島である。低いところにいくつもの湖沼があるが、どこかで海とつながっているために、浅いところが淡水で深いところが塩水という、これまた自然の微妙な創造物なのである。苦労の末に上陸を果たした草分けの一行が、尽きることのない真水に出合った時の喜びは計り知れない。

サンゴ礁の島の中の湖は、その存在自体が貴重である。そしてそこには、淡水には珍しいマングローブの群落があり、多くの水鳥が行き交う。南北大東島で孤立して進化したダイトウオオコウモリを始め、天然記念物には事欠かない。村では2000年に開拓100周年を盛大に祝うと共に、島全体をまるごとミュージアムとして、エコツーリズムの拠点をめざす方向付けを行った。

那覇からの定期船は波のため今も接岸できず、岸壁から離れて停泊し、クレーンで人と荷物を上げ下ろしする。月平均5回程度の運航である。空路は改善されたが、運賃の高さは人の出入りを難しくしている。しかしこの類まれな自然史と社会史を持つ島は、静かなエコツーリズムの舞台としてかけがえのない価値を持っていると思う。この島に夏の初めと終わりに2度も訪れることができ、この夏は極めてエキサイティングに過ぎた。