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亡国の兆し

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年10月28日

ジャーナリスト 松本 克夫 (第2858号・平成25年10月28日)

足尾鉱毒事件を告発した田中正造の没後100年である。田中正造は国会で政府を糾弾し続けたが、その一つに「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国なり」と訴えた演説がある。 足尾銅山の鉱毒垂れ流しを放置し、渡良瀬川流域の住民を毒で殺し、数万町歩にわたり稲の生育を妨げるような国は、亡びたも同然と断じたのである。

田中正造が今生きていたらどうか。もしかしたらアベノミクスは亡国の仕業と断じたかもしれない。アベノミクスの「三本の矢」のうち、本命は成長戦略である。その指針となるのは、 安倍首相がしばしば使う「企業が最も活動しやすい国」である。

グローバル企業は世界中を見渡して、一番活動しやすい国はどこかと狙っている。その期待に応えられない限り、成長は望めないという判断である。しかし、少し考えただけで、 その判断は危ういと気付く。

「企業が最も活動しやすい国」とは、個人の税負担は重くとも、企業の税負担は軽い国であろう。労働力の質は高く、給料は低く、いつでも従業員の首を切れる国であろう。 農産物の輸入関税はなく、農業への企業の参入も自由な国であろう。原発事故を引き起こしても、原発の稼動を止めることなく、エネルギーコストの引き下げに努めてくれる国であろう。 つまり、平気で民を犠牲にしかねない国であろう。

文明の利器の大半は企業の産物だが、この世に多大な惨禍をもたらすのも企業である。政府にとって、よほど心してかからなければならない相手である。ところが、 安倍政権は「企業が最も活動しやすい国」に向け、まっしぐらである。消費税を引き上げる代わり、法人税減税だという。産業競争力会議の議論では、人々の生活の安定より、 企業に解雇の自由を与える方が先であるかのようだ。福島第一原発の汚染水の流出が止まらないのに、官民挙げて海外への原発売り込みに忙しい。そして、TPP。果たして、亡国の兆しはないといえるか。