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災禍による分断を越えて

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年3月11日

ジャーナリスト 松本 克夫 (第2832号・平成25年3月11日)

あの3・11の災禍から丸2年経った。といっても、被災地の光景は、がれきが片付いた以外はほとんど変わっていない。とりわけ暗たんたる気持ちにさせられるのは、 福島第一原子力発電所事故の被災地のありようである。やはりそうかと胸が痛むが、住民の間に亀裂が生じているという。

1年前に帰村に踏み切ったのは、比較的放射線量の低い川内村だが、住民の6割は戻っていない。戻った人と戻らない人の間にわだかまりが生じるのは避けがたい。 遠藤雄幸村長は、「原発事故の最大の被害は住民の心が分断されたこと。一番心配なのは、お互いを非難していることだ」という。

警戒区域外でも、子供を抱える母親たちは、被曝の不安の中で、避難するか、留まるか、選択を迫られた。選択次第でグループに色分けされる。原発被災地に寄り添ってきた 民俗学者の赤坂憲雄氏は、「分断状況はすさまじい。グループ間でののしり合いをし、物言えば唇が寒い状況だ」と嘆く。加害者に怒りをぶつけるならともかく、被害者同士が いがみ合う光景は悲しい。

思えば、かつて取材した水俣病事件でもそうだった。水俣病に侵された被害者の漁民が地域を危機に陥れる加害者であるかのように周囲から迫害された。患者たちも、 訴訟への対応を巡って四分五裂したから、地域はずたずたにされてしまった。「もやい直し」という言葉で、分断状態を解消しようという機運が高まった時には、すでに 水俣病公式発見から40年の歳月が流れていた。また同じ悲劇の繰り返しだろうか。

川内村の除染作業は進んでいるが、誰もが安心できる線量ではない。帰村者の高齢化率は65%。遠藤村長は、「もう事故以前には戻れない。新住民を迎え、新たな 村づくりをするしかない」と決意を語る。水俣では、もやい直しが進んだ後、住民がごみの徹底的な分別などに取り組み、「環境首都」と称されるほどになった。福島でも、 それに負けない再生があると信じたい。