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母の歌集から

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年7月16日

ジャーナリスト 松本 克夫 (第2807号・平成24年7月16日)

一年前に亡くなった母が残してくれた歌集をめくってみた。素人の手すさびにすぎないし、忙しさに紛れて、放ってあったのだが、 一度も目を通さないのも相済まないと思い、開けてみたのである。

歌の出来映えはともかく、初めて知る母の生い立ちにまつわる話に引き込まれた。例えば、「又女かと命名しぶる父を見て長姉がわが名を付けてくれしと」 という歌がある。母は女ばかり六人姉妹の三女である。早く男の跡継ぎがほしい農家の主の落胆ぶりと、まだ幼いはずの長女の気遣いが目に浮かぶようだ。

明治から平成まで生きた母だったが、「大正時代が一番良かった」と常々語っていた。子供のころはとかく甘美に思い出されるものだが、 それを割引いても、唱歌そのままの大正期の田舎の風景と暮らしには、誰しも郷愁を誘われる。「半分に割れば紫蘇の香立ち匂ふ母手作りの焼き餅恋ほし」 「摘み草に父の大事な鎌無くしし遠き日甦るよもぎ摘む野に」。紫蘇入りの焼き餅に摘み草。子供たちの心が弾む風物詩である。

「小学時代教科書以外に読みたるはたった一冊『鈴が森の少女』」。友達に一晩だけの約束で借りて、囲炉裏端で夢中で読んだらしい。 子供の読める本は家になく、学校から帰れば、野良仕事の手伝いばかり。そうした日々での「たった一冊」は、一生の思い出だろう。むしろ、 情報洪水の中にいて、こうした感動を味わえない今の子供たちが哀れに思えてくる。

「わが学資に売りし田の見ゆ言はずして逝かれし父母の墓参の道に」。義務教育が小学校までだった時代。現金に乏しい山村の農家が、 子供にそれより上の教育を受けさせるのは、並大抵の苦労ではなかったはずである。祖父母は母に内緒で田を一枚手放したのだろう。

情の濃やかさや淡い幸せ感は、自然に抱かれた慎ましい暮らしと共にある。改めて、そう教えられた思いがする。