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梅干し和尚の村おこし

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年2月7日

ジャーナリスト 松本 克夫  (第2748号・平成23年2月7日)

南高梅の産地、和歌山県みなべ町の最奥の清川地区は、2月には梅の花で山が白一色に染まる。山寺の住職、赤松宗典和尚はここを「梅源郷」にしたいと夢見てきた。それには過疎化を食いとめなければならない。30年ほど前、秘伝とされていた薬草に漬けた梅干しの商品化で村おこしをしようと思い立った。薬草集めには小学生たちが協力してくれた。

数年かけて、名品の梅干し「薬師梅」を開発したものの、売り方がわからない。人が集まる場所に出かけ、のぼりを立てて客を待った。京都のある秋祭りの日に通りかかった女性の紹介で、販売ルートが開けたのは、まさに仏縁である。縁は広がり、今では各地の百貨店が取り扱ってくれる。設立した梅干し製造会社は十数人を雇用するようになり、地元の希望の星になった。長年、和尚が温めていた都会の人たちとの交流の場である「ふるさと道場」も、10年前に完成した。

和尚の梅干し販売の全国行脚は、数奇な出会いをもたらした。一人息子を殺された福山市の母親、難病の筋ジストロフィーと闘う秋田市の青年、戦争で家族全員を失った沖縄の女性。悲しみを秘めた人たちが、相手を和ませずにはおかない和尚の友人になった。商売のはずの行脚は修行にも癒しの旅にもなった。それが各地と清川との縁結び役も果たした。

10年前の梅ブームの時、和尚は地元紙に「危うし、10年後の紀州梅干し」という一文を投稿した。警告通り、やがて生産過剰と安売り合戦が到来した。和尚は古事に因んで、6月6日を「梅の日」とし、京都の賀茂神社に梅を献上する行事を復活しようと提唱した。「金金金で魂が崩壊した」状態から脱し、梅に感謝し、関係者が心を一つにする日である。提案は実り、「梅の日」は定着した。

お金の「円」を追えば、人との「縁」は薄れ、人との豊かな「縁」を結べば、「円」は後から付いてくる。梅干し和尚が教えてくれた村おこしの極意である。