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町村合併の前の課題

印刷用ページを表示する 掲載日:2001年9月3日

評論家 草柳大蔵(第2368号・平成13年9月3日) 

政府からの財源移譲による地方分権の強化は、大正末期から石橋湛山氏らの提唱するところだったが、小泉改革の中でも全く同質の考え方が打ち出された。これから2、3年ほどかけて国の行財政構造が改革されるなかでどのような姿があらわれるか、国民はもちろん海外の有識者も見守るテーマになる。

ただ、忘れてならないのは、地方自治体の自立性の構築条件に「町村合併」という前提があることだ。現在でも町村合併の声は絶えたことがなく、今年の5月1日現在2,554ある町村は最終的には300に統合されるのが望ましいとの声もある。統合がよいのか、町村間の話し合いによる広域行政がよいのか、その選択を地方自治体にまかせるかどうかについて、地元の大学・企業・マスコミなどから有識者に参加してもらって、時間をかけた議論を尽すべきだろう。なぜなら、「はじめに合理化ありき」で出発すると、地方自治体をスリム化させるための施策が先行し、行政サービスが手薄になるおそれがあるからだ。具体的には、合併するにせよしないにせよ、新しい行財政構造の中で、基準財政需要と基準財政収入の自治体ごとの洗い直しが併行されることが望ましい。

合併論議の中でもう1つ留意して欲しいのは「世教」の力である。明末の儒者で行政官でもあった呂新吾が『呻吟語』(しんぎんご)という著書の中で説いているものだが、平たく言えば「世間の教え」である。わが国でも昔から「嫁を貰うならあの町から貰え、婿を探すならあの村の若衆がいいぞ」というように、地域ごとに人を育てる力があって、永い間には評価の系ができているのである。この世教が町村合併でごちゃごちゃにならないよう、公民館が中心になって「世教」の合併効果が出るように考えてほしいものだ。ある町でタクシーに乗ったら運転手が5秒ほど祈ってから発車したと教育学者の伊藤隆二氏が語っている。これを採り入れて新世教をつくるのもこれからの行政だろう。