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「されど、アメリカ」の教訓

印刷用ページを表示する 掲載日:2001年4月2日

評論家 草柳大蔵(第2351号・平成13年4月2日) 

政治の話を聞いても経済の記事を読んでも、頭が混乱するばかりである。こんなときは「荘子」を拾い読みするのが一番だ。人生の達人が、少しも偉ぶらずに、具体的なタトエ話でものの考え方、価値判断の仕方を教えてくれる。

「寿陵の余子」という話がある。寿陵という小さな町に住む余子という男が、趙の国の首都邯鄲(かんたん)にやってきた。邯鄲は当時の文明都市だから、見るもの聞くもの、すべて余子を圧倒したが、なかでも人の歩き方の美しいことに心を奪われた。なんとか身につけようと努力したが、足の指はつるし、コムラガエリは起るしで、夜も眠れない。無理をするからいけないんだと、それまでの自分の歩き方に戻ろうとしたが、寿陵にいたときの歩き方を忘れてしまい、とうとう腹這いの格好で郷里に帰ることになったという。

近頃の日本人は物怯(お)じの度合いが稀薄になったのか、外国に行っても“寿陵の余子”にはならず、自分の立場でしっかり勉強してくるようである。

一例を挙げると、全国市町村国際文化研修所が発行している冊子に千葉市総務局市長公室の春日一郎氏が、「されどアメリカ」という一文を載せている。

春日氏がアメリカ滞在中に最も感じた点に、各都市が住民の“まち”に対する意見を行政に反映させるシステムづくりに力を入れていることを挙げているが、「これからの日本の行政そのものについて考える」と、やはりアメリカが行ってきたさまざまな行政改革がどれほど我々にとって重要であるかを学びとることができると書く。たとえば事務的経費の削減、公共事業の見直し、職員の定数管理、これらを基にした財政再建計画である。従来は行政の先進事例を国内の大都市から模倣するケースが多かったが、いまはアメリカの先進事例のすぐれた事例が参考になるという結論は、将来日本の地方自治体に起こりうるリニューアル・プランに極めて有効だと思われる。