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ある人材ものがたり

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年6月5日

評論家 草柳大蔵(第2373号・平成12年6月5日) 

適材適所という言葉があるが、同じ組織内の人間ならその才覚や苦が手とすることも分別できるが、組織外の人を登用するとなると、肩書きや知名度に目を奪われる可能性も出てきて、なかなか、難しそうである。そのような意味あいから、私の心に残った人材抜擢の好例は、福島譲二氏(故人)が熊本県知事のとき副知事に潮谷義子さん(現・同県知事)をすえたときの経緯(いきさつ)である。

潮谷さんは保育園の経営者兼保母さんだった。育児や母親の役割について並々ならぬ見識があり、県下で講演をしたり県内紙に意見を発表することが多かった。あるとき彼女の講演を聞いた福島夫人がすっかり感心して「あなたも、1度、潮谷さんのお話を聞いてみたらどうですか」と知事にすすめた。福島氏は、早速、潮谷さんの講演を聞きに出かけたが、一度でその内容や話し方に惚れ込んでしまい、「これからの少子化社会にむけてこういう人に副知事をやってもらおう」と心にきめ、それから1年間、多忙な知事生活の合間を縫って、潮谷さんの講演の“追っかけ”を続けた。講師の邪魔になってはとの配慮から会場では最後方の席にすわっていたそうだが、もうひとつ、感心したのは、潮谷さんが新聞や雑誌に発表した論稿や随筆のスクラップを自分で作り、県庁への往復の車中で何度も読みかえしていたことである。一年が過ぎて福島知事自ら潮谷さんを訪ね副知事就任を懇望した。3たび断わられて4たび通い、とうとう宿願を達したのである。

潮谷さん就任の経緯とは違うが、人口わずか220人の都下青ヶ島の助役となった坂本龍一氏の就任話もさわやかである。東京都庁に入ったのが東龍太郎知事のとき、以後、3代の知事に仕えたが、離島振興室のトップとなるや、東京都の離島という離島に足を運び、ついに1度も船酔いをしない体質になった。定年を迎えて「どこの部署を望むか」と言われて「青ヶ島」と答え、いまは“島の主”たちと観光客をアテにしない自立計画に浸り切っている。作曲家と同姓同名だが全く縁はないそうだ。念の為。