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沖縄の二つの「自立」

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年2月7日

評論家 草柳大蔵(第2302号・平成12年2月7日) 

Y2Kのとばっちりを警戒して、年末から年始にかけて、くめ沖縄の久米島に滞在した。久米島絣と深層水について、深い勉強をさせて貰った。和装不況の大合唱の中で、久米島絣の生産は、最悪期(年間3,000反)から脱し昨年は6,400反に達している。秋になると本土から70数社の卸商が入り買付けが行われる。生産回復の原点は『結』という村落の小集団で、沖縄言葉では「ゆいまーる」と呼ばれている。

増産の原因は、行政(中里村)も手伝って、「ゆいまーる」の中に工程ごとの役割分担をきめたことだ。染色のための媒染材の多くは山の中に育つ。これを集め、剥いだ皮を釜の中で煮つめるのは男の仕事だ。糸を染め横木にかけて干すのは男女共同の仕事である。ここから先の、整経、織りはほとんど女性の役割となる。しかも、この『ゆいまーる』で働く人たちは高齢者が多く、反物という商品経済をとおして、自営業者としての自覚が強くなる。つまり、老人の自立である。

久米島で最も標高の高い具志川城址に上がってみると、平地という平地がサトウキビの畑で埋まっている。かつては二毛作の水田だった。減反政策で転作を余儀なくされ、それならと補助率の高いサトウキビづくりになった。しかし、農業従事者の高齢化と若者の島離れ、前途は暗かった。

そこへ深層水の登場である。北極のベーリング海域から2000年かかって沖縄に到着するこの水は、海底600メートルから汲みあげられ、医療・化粧・食品各界から“新世紀のホープ”と目されている。科学技術庁を中心に46億5千万円が投じられ、1日の摂水量1万4千トンをベースに、島に取水装置・研究棟・企の作業場を包括した基地ができた。村にとっては雇用の機会に恵まれるうえ、摂氏6度の水をパイプでサトウキビを取払った畑に回流することにより冬野菜の大量生産が可能になった。補助経済から商品経済へ。沖縄にもうひとつ「自立」の足場ができる。日本は、やはり底の厚い国だと思う。