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21世紀の錦の御旗は何か

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年11月29日

評論家 草柳大蔵(第2295号・平成11年11月29日) 

大学生の学力低下が話題になっているが、論文やレポー25%中位50%下位25%という比率は、全国的にほぼ定着しているようだ。社会人の場合はどうだろうと友人と話しあったあと、私は生前の松下幸之助氏に伺ったことを思い出した。そのときの記録をひっくり返えしてみると「2・2・6」という数字が出てきた。いつも新しい考えや技術に挑戦している社員が20%、その連中を憧れの目で見て追随している者が20%、あとの60%はオミコシのまわりでウチワで煽いだり水をかけたりする連中だ、というのである。しかし、この比率を口にしたあと、松下氏は「だが、経営者にとってはこの60%が大事でっせ」と言った。どんな人でも生活の60%は環境に染まる、考え方・言葉づかい・身のこなし・酒の飲み方まで“職場風”になるものだから、これらの人が同調してくるような錦の御旗を揚げられるかどうか、それが経営者の正念場だ、というのである。

これは自治体の首長だって同じことだろう。かって錦の御旗はハコモノだったが、これからはソフトの時代だとは猫でも知っている。では、どんなソフトが町の“錦の御旗”になるのか。この議論は「地方分権」「町村合併」とあわせて慎重にそして真剣に議論しあう必要がある。いま、テーマごとに地域連合の形が進められているが、そのテーマに町村共通の「ソフト」が取り上げられてもいいだろう。

「ソフト」とは何か。「ソフトをデザインする」とは何か。5年前、東京でユネスコの大会がひらかれたとき、その事務局長だった哲学者のフェデリコ・マイヨールは「見えざるものを見る」ことがソフトのデザインであり、それに成功した者が「不可能を可能とする」といった。現代の「見えざるもの」の一つは「癒し」であるが、一般には「癒される」と受け身でとられていたものが、近頃は少人数の人たちが集って「癒す」空間を自立的に作りはじめた。自治体が助産婦役となって、“ヒール・タウン”を誕生させるのも充分に錦の御旗になりうると、私は思う。