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地方自治の<感覚>-ソウル市女性職員の一言

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年1月18日

九州大学大学院法学研究院教授 木佐 茂男(第2946号・平成28年1月18日)

今、日本では、約70年間にわたって憲法の「地方自治」保障がごく当たり前のことと理解されている。ヨーロッパ地方自治憲章などに比べれば不十分な条項もあるが、 世界を見渡せば実践的に行える余地はいろいろあろう。

翻って、韓国。1987年の民主化宣言以来、さまざまな改革が行われてきた。特に司法改革がめざましいが、憲法で地方自治も保障され、1995年に地方自治が復活した。同じ年に、 日本の地方分権推進委員会も活動を始めた。

だが、今も、韓国では中央官僚の支配が強く、補助金行政や天下り人事による無責任さなどが目立ち、真の地方分権を確立しないとどうにもならないという自治体側の強い不満がある。こうした事情も背景に、 2015年には同国内各地で地方自治復活20周年を記念する種々の学会やシンポジウムが開催された。この国の自治の課題は少子高齢化、ソウル一極集中など、日本のそれとほぼ同一である。

昨年10月にソウル市とソウル新聞社が共催する「地方分権国際フォーラム」が市庁舎内ホールで行われた。ソウル市には市役所に研修で来ているアフリカ始め多彩な地域の参加者もいる。 このためフォーラム全部で日韓英の3か国語同時通訳がなされ、圧巻だった。共催者たる新聞社は、フォーラム10日以上前に、16頁もの広告なしのタブロイド判・地方分権特集号を出していた。 プログラムや実にしゃれたデザインの4つ折りリーフレットなどもイラスト入りで素晴らしく、意欲を感じた。

今回のテーマ設定は、地方分権自体が目的にもみえるものであったため、筆者は、地方分権には真の地方自治実現や豊かな生活を育むための手段的要素があり、「何でも分権」で済むわけではない、と語った。 別の日、ソウル市職員と大学教員・学生向けの講演をした際には、長時間の質疑も終わってすぐ壇上に駆け寄ってきた同市職員の女性が2人いた。管理職でも新入職員でもない。ただ、講演と質疑を聴いて、 お礼を言いたかったのだという。日韓の間には、種々の懸案があるから、参加者も少数で、日本からのゲストに冷たい視線でも投げかけられるかと思っていたため、想定外のことであった。

草の根の交流とまではいかなかったが、敢えて引き受けたフォーラムや講演から、変化の胎動が聞こえたようで嬉しかった。決して両国間に対立感情だけがあるのではない。芽をどう育てたらいいのか。