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多忙すぎる首長たち

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年7月6日

九州大学大学院法学研究院教授 木佐 茂男(第2925号・平成27年7月6日)

この30年くらいおつきあいをしている自治体職員の方々で市町村の首長、副首長になられる方が増えた。研究仲間、勉強仲間の一人として率直に嬉しい。ただ、この方々の日常から知りうる範囲では、 わが国の自治体幹部はほぼ一様にあまりにも多忙で、それは異常な水準にある。スケジュールが秘書課(庶務係)で決められ、自分では何も行事を入れることのできない首長も多い。 ときにトイレに行く時間さえないという。筆者に電話をかけることができるのは都内出張時の移動の際の隙間時間帯のみ、という方さえいる。この政治家の忙しさは、何に由来するのであろうか。

かつて1994年に、ある若い首長が誕生したとき、筆者は深夜の当選祝賀会場のお寺でマイクを握った。「支持者の皆さんは、この新しい首長が積極的に勉強されるための時間の確保に協力していただきたい」と。 しかし、公務・政務と地域の諸事情は、新首長にゆったりとした学習の時間を与えることができなかった。

ドイツで会った幾多の首長たちは、長期休暇も取り、土日にまで公務や半公務的行事でスケジュールが埋まっているようなことはなかった。もとより彼らにも危機管理のための執務体制はある。 外国で長期休暇を取っているとき大事件でも起きればすぐ帰国するが、普通は職務代理制度で対応している。つまり第一市長と第二市長は同時に長期休暇を取らない。

これに対して日本の現状はひどすぎる。一つには、首長が再選のため常に有権者、支持団体に顔を見せておかなければならない。公務は自分が実質的に接していない組織、団体の充て職が多すぎる。冠婚葬祭、 各種業界団体の会合、各地・各業界の後援会など、票田の「田の草取り」も半端でない。

形だけの会合、首長を呼んでこないと恥をかく行事責任者たち、首長が来れば格が上がると考える諸団体、その根底には、有権者の政治意識度の違い。結局は、 一人ひとりの大人が政治的能力を身につけることを阻止してきた長期の政治の影響が、首長らを多忙にし、首長自身の健康、プライベートな生活、例えば家族だけでする地元での食事の機会さえ奪う。

有権者、様々な組織、団体は、思考したい首長や副首長が十分に思索できる時間や環境を確保できるよう支えなければ、先の展望はないと考えるべきではないか。