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「<最近>の<あれ>」

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年6月15日

九州大学大学院法学研究院教授 木佐 茂男 (第2683号・平成21年6月15日)

読者にとって、<最近>とは、どのくらいの年数であろうか。次第に高齢化してきた筆者にとって、<最近>の幅が分からなくなってきた。携帯電話は1年前の新製品でも「古いね」と言われかねない。しかし、私が法科大学院(ロー・スクール)で学生に講義をするとき、自分が研究者になって以降に下された判決は自らの頭の中では<最近>のものというカテゴリーに入っている。20年、30年前の判決でも、平気で「最近出た判決の中には・・・」と言っている自分がいる。

このところ、会話の中に、「あれですから、ああいうことになって」という発言が、以前よりも増えたのではないか。大事な会議の中で「あれですから、以上で終わります」のような発言をする方がいて、ひどく気になっていたが、その人は見事に出世していった。私は、極力<あれ>を使う表現はしないようにしているつもりだが、ひょっとするとそうでない可能性もあって怖い。

若い入庁したての職員にとって、<最近>とは、人生の年数からすれば、一般には数ヶ月くらいではないのか。だが、少し考えると<最近>の幅は、事案・テーマと関わり具合によって、きわめて相対的なものである。30年前の判決を<最近>と言っている自分も、さすがに20年ちょっと前に買った最初のNEC製のパソコンPC-98VXを<最近>買ったPCの一つ、とは絶対に言わない。

<最近>の濫発・誤用は、まだ罪も害もそう大きくない。しかし、「あれ」を良く使う人には、ボキャブラリーが少なくてやむを得ずというタイプも確かにいる。だが、半ば意識的に使っている「あれ」組は、結構出世しているのでは、と邪推している。曖昧にしておけば、敵も少ないし、なんとなく場が納まる。社会の風潮の反映かとも思うが、これまた誤った推測であろうか。「あれ」を濫発され、かつ、語尾が不明瞭な人には腹が立ってくる。「<最近>の<あれ>だけど、・・・(末尾聞き取れず)」と言われたら、もう完全にお手上げである。