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客に冷たい日本

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年4月10日

静岡文化芸術大学学長・東京大学名誉教授 木村 尚三郎
(第2556号・平成18年4月10日)

政府もようやく観光立国に本腰を入れようとしているが、国内観光は依然としていまひとつ振わない。その理由の一つに、「接遇の冷たさ」を挙げることができよう。「おもてなし」こそ日本の取り柄、と一般には受け取られているが、実際には客の立場に立っていないのである。食べ物や飲み物の「宿屋内持込みを許さない」などは、その最たるものの一つであろう。

ヨーロッパのホテルなら大ホテルはもちろん小ホテルでも、館内持込みは自由である。ホテルに着いて荷物を置いたら早速町に飛び出し、パンやらハム・ソーセージその他のお総菜、デザートの菓子からワインまで、安くておいしそうな物をあれこれ買い求め、ホテルの自室に戻ってむしゃむしゃやる。ことに一人旅のときは、これが一番楽しい。町中の様子や土地の食文化も身をもって体験でき、旅の醍醐味を全身で味わうことができる。

日本の宿屋ではこれが出来ない。折角おいしそうな駅弁を買ってきていても、宿屋内ではこれを食べることが出来ない。そして宿屋が出す、どこでも似たりよったりの、さして旨くもないコース料理を強制的に食べさせられる。「要らない」と云っても、料金は取られてしまう。つまりは客に冷たいのであり、どこが「おもてなし」かと心底思ってしまう。

フランスなら、どんな片田舎のカフェでも客がそこで食事するとなれば、大きな紙のランチョン・マットをテーブルに敷いてくれる。客が変れば、もちろん新しい紙マットに敷き直す。経費は、大したことはないだろう。しかしそこでは客をいかに大切にしているか、食事をいかに大事にしているかが、じかに伝わってきて、うれしくなってしまう。その町も、その村も、そのカフェ・一膳飯屋も、サービスしてくれる人も、みんな好きになる。心に強く印象づけられ、また来たいなと思う。

これが、本当のおもてなし、ホスピタリティである。日本の「おもてなし」は、結局は客からカネを取るための、笑顔とお辞儀でしかないのではないのか。つくづく、彼我の差を思い知らされる。