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意外な真実

印刷用ページを表示する 掲載日:2003年9月15日

静岡文化芸術大学学長・東京大学名誉教授 木村 尚三郎
(第2453号・平成15年9月15日)

ドイツ・ポーランド・オーストリアの、3人の写真家の眼に映った日本の姿が、写真集として出版されている。(『日本に向けられたヨーロッパ人の眼・第5集』、EU・ジャパンフェスト日本委員会、2003年7月)。撮影の対象となっているのは山形県と大分県であるが、日本が外からどのように見えるかを知る上で、大変に興味深い。

彼らの眼は総じて率直・素直であり、何よりもまず日本の美しさに向けられ、私たちの共感を誘う。収められている障子とタタミの直線美・簡素美とか中山間地域の棚田(千枚田)の美しさ、端正なワラぶき・カヤぶきの民家、林の中にひっそり佇む野仏などは、世界中の誰が見ても美しい、普遍性のある日本文化である。

しかしその一方で、次のような見方もある。「(日本の庭の)松の木の幹は……奇妙にねじれて、地面に向かって弓形に曲がっています……。(松の木は普通はほっそりとしてまっすぐですが、)日本の庭は、『君はまだ独立するには未熟なんだよ』告げているのです。」(アニエスカ・ウォロツカ、ポーランド)。

われわれなら、日本庭園に老松を見、完成された小宇宙を観ずるのが本当のところであろう。しかしヨーロッパ人が、そこに日本人の日常的な(自己)抑圧の姿と、だからこそ時折見せる激情、エネルギーの噴出・爆発の姿も、意外ながらまた真実である。何度も仕切り直しをしたあと、一瞬の激しい立ち会いとなる相撲、我慢に我慢を重ねたあと堪忍袋の緒が切れた形の、第2次世界大戦における日本軍の残虐行為も、みな同じである。

「宗教が驚くほどどこにでもある」、「建築に対するリベラルで個性的なアプローチ」、「広く行き渡った友好的で礼儀正しい雰囲気」(マルゲリータ・スピルッティーニ、オーストリア)という日本の印象は、日本人にはこれまた意外ながら、多くの外国人が一様に抱く真実である。日本各地の対外的なPRの際には、このような外国人の眼を、積極的に活用すべきときであると思う。