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「地産地消」は、覚悟が要る

印刷用ページを表示する 掲載日:2003年3月24日

静岡文化芸術大学学長・東京大学名誉教授 木村 尚三郎
(第2432号・平成15年3月24日)

 

「地産地消」という言葉が地域おこしの切り札として、日本全国津々浦々どこでも唱えられるようになった。かつてのように土地のいい農産物を遠隔の大消費地に送ってしまい、残り物を土地が消費するのとは、正反対の生き方である。土地の最上等の農産物を、地元の人も旅人もその土地で消費し、ともに楽しみ合い、ともに「いのち」の輝きを覚える。

これが、本来の「地産地消」である。この4文字にはしたがって、よそ者・旅人・観光客と地元との交流、農村・農業観光が必然的・不可避的に含まれている。土地のいい物を地元の人たちだけで消費してよそ者を排除したのでは、それこそ食べられなくなってしまう。要するに土地のいいモノを遠くに売ってカネに代えるこれまでの生き方をやめ、代わって土地のいい物でヒトを引き寄せ、土地を好きになってもらって、新たな繁栄を図る。

そのような「モノからヒトへ」の大転換を、「地産地消」は意味している。覚悟の要ることであり、「よそ者嫌い」では実現できない。フランスは年間7千6百万人と、人口5千8百万人をはるかに超える世界最大の外国人観光客を惹きよせている。それは、よそ者・外国人を受け入れる「旅の文化」が、中世いらい日常生活の中にビルトインされているからである。日本では福岡がよそ者を分け隔てしない町として、古代いらい知られている。福岡に転勤になったサラリーマンは、ここならまた来たいと、一様に云う。そう云わせる心が大切、ということであろう。

フランスは中国(外国人観光客受入数世界第5位)とともに典型的な「地産地消」国である。ともに、土地の産物を土地で消費しているだけではなく、世界の誰もが認める高い料理技術を持っている。そこが、わが国とは違う。日本の地産地消は、かつての地ビールと同じく、往々にして美味しくない。フランスのような、おしゃれな地方レストランも数少ない。それでは、人はやってこない。もう一つの、覚悟が要るポイントといっていい。